人間の内心は記憶の建築物が集まった都市みたいな場所

もう、タルパ界隈から姿を消した人物だ。今どこで何をやっているのか知らないし、中傷でなく評論だから名指してしても構わないだろう。タルパの実践観、哲学のようなものを「国」に例え、啓蒙活動をしていた人物がいた。倉文氏のことであるが、タルパ界隈を弄り回し始めた際、えらい説教をされたもんだ。同氏の趣旨は、おそらく⋯タルパの技法を言語と同じように捉え、個別の手段としてものに考えていたのかもしれない。それを端的にわかりやすく説明するため、比喩表現として国と主張していたのであろう。正直、違和感は否めない。当時のタルパ界隈の混乱振りから、それはバベルの塔の逸話を連想させた。同氏は明晰夢の方面からこちらの世界に関心を持ったようだが⋯ならばこそ、変性意識と言う統一規格でタルパ界隈を取りまとめる指導者になって欲しかったなと思う。
心の世界観を象徴する夢のイメージ
倉文氏をサンタクロース化して弄り始めたのは⋯タルパ界隈のみんなに夢と希望を与える存在になって欲しかったからだ。果たして、彼⋯いや、彼女か。リアルでは腐女子らしいな。彼女がサンタクロースとして担ぐ袋の中身には何が入っていたのか?各自の想像に任せたい。それは現実で自分が欲していたものと関係があるかもしれない。それを考えることで⋯今年のクリスマス・プレゼントは抜き!!の本意もわかるはずだ。考えろボケ。特にユーノン、お前だ。まぁ、そんな関係者ネタはともかく⋯人間の心を国や都市に捉える考え方は、心理学や占いの方面から見る分、合点は行く。夢占い的に見ても、その人の「心の世界観」を象徴した包括的イメージと言える。タルパ界隈を風刺したいじり創作小説で、ヲティスタンに次ぎ、ピクシティに強くこだわったのはこの観点からだ。
架空国家「ピクシティ都市国家連合」とは何だったのか?
ピクシティとは⋯元々はクロリン氏がタルパ界隈の著名タルパ、ピクシーをネタに創作したものだが、こちらでイメージの詳細化を図った。ファイナルファンタジーⅦのミッドガルをモチーフにした多層構造の都市国家となる。政体はシンガポールのような明るい北朝鮮をイメージした。同国は富裕層が多く集まり、先進的なテクノクラシー国家を思わせるが⋯貧富の差の大きい格差社会である。日本のそれはまだ生温い。危険度リストなる下らんものに振り回されるタルパ界隈住人に相応しい条件イメージだ。特権階級や富裕層の集まる都市高層部から、訳ありな者たちが多く集まる地下区画まで⋯タルパ界隈住人をもじったキャラたちを住まわせた。そう⋯ヒエラルキーやカーストを連想させる皮肉まじりな世界観となる。その中でどう問題を解決するか比喩表現してみたかった。
装甲騎兵ボトムズな主人公たち
それにしても⋯タルパ界隈は本当に不可解な場所だった。基本的にタルパ作りは人並み以上の創造力が要求されるはずなので⋯てっきり、空想好きな人たちが集まっている場所なのかと思っていた。しかし、実態は違った。忌憚なく言わせてもらうが、第一印象は創造力に欠けた鈍そうな人たちだった。まぁ、それ以前の話となるが、オカルト界の一角を陣取る界隈であるはずなのに、オカルトに関する話題もほとんどされていなかった。ごっご遊びしているだけなのか?でも、楽しくなさそう。とりま、みんなと適当に調子合せて観察してみることにした。そして、各人が自らに背負わされた運命に酔いしれている感じであるのは⋯徐々に理解し始めた。自称DID多過ぎ。憑依ってなんだよとクソワロタ。催眠、自動筆記のやり方を具体的に説明できるのか?おちつけよ⋯お前だ。カカポ。
タルパと言う名のATを操縦していたのか?
ああ、この人たち⋯タルパと言う名のATを操縦しているキリコ・キュービィーたちなんだなって⋯遠い目になった。ATはアーマード・トルーパと紹介されているが、トルーパの正確な発音表記はトゥルーパだよな?チベット密教の秘奥義であるトゥルパは⋯こうして今、トゥルーパとしてこの日本で実践されているのだ⋯しみじみそう思った。一体、なんの因果だよと大爆笑。タルパ界隈はギャグの世界なのか!?ただ、ある一点だけに関しては本当に申し訳ないことをしたと思っている。積年にわたり誹謗中傷被害を受けて苦しんでいた方を、ボトムズの主人公に見立て、不動産物件探しの創作小説を書こうとした話だ。夢占い的に部屋は心の状態がもっともわかりやすく反映されたシンボルとなるため、タルパ作りとの関係性を比喩表現的に考察しようと考えていました。
タルパ創りの文法
余談が過ぎた。そんな深い関係者ネタはともかく⋯倉文氏自身の独自哲学に基づくタルパ実践論は、一部は疑問に思いつつも、最終的にどのような発展を遂げて行くのか見届けたかったものだ。現在、同氏のサイト「タルパ創り講座」は謎の閉鎖中だ。タルパーそれぞれが持つ言語を分析することで、タルパ創りの文法やメタ言語のようなものまで発見できたのかもしれない。そうした左脳的な手法に対して、自分は右脳的な手法で対抗しようとしたのかもしれない。とりま、記憶情報を建築物に見立て国作りに励んだ。イメージのブロックとも言えるし、今後の研究は元素のようなものに見立て展開して行くつもりだ。まぁ、今どこで何をしているのか本当に知らんのだが、自分の身内や取り巻きの行動くらいよく見ておくことだ。猛烈に弄りたくなった理由はそれやで。
心の都市環境の息吹を再現
都市(や国)が「心の世界観」なら、都市を構成する建築物の数々は「心の人生観」であり、経験や学習により集められた記憶の欠片の象徴と言える。その中でも家や部屋は、自分自身の心を映し出す鏡みたいなもので、自分らしさの象徴とも言える。道路や鉄道、水道や電力、ガス関連の構造物、空港や港湾などのインフラは、その人自身の社会性、現実社会との関わりが強く表れたものになる。清掃工場やゴミ集積所、下水関連は⋯まさに、その人自身が心に抱えている問題と直結する。上手い具合に処理できるイメージがあれば良いのだが⋯まぁ、これは一人の夢占い師の持論である。とりま、そういう意図からピクシティの綿密な設計を試みた。もちろん、寝ている間に見る夢とは違うが⋯夢のシンボルは起きている間も、無意識に読み手の意識に働きかけることは可能となる。
ゴミ集積所から始まる恋愛冒険物語
ピクシティをミッドガルに見立て⋯特にゴミ処理や下水関連の施設に重点をおいたような設計、デザインをしたのは、上述した通りの意図からのものとなる。タルパー各自が抱える心の問題が何であり、それをどう解決、処理するために葛藤するのか⋯その様子を比喩表現してみたかった。露骨に精神分析、プロファイルするような真似事は無粋だしそうされる側も嫌だろう。創作なら何気に伝えることはできるだろうし、後から本人たちも意味が理解できるだろう。タルパ界隈のポータル的サイトである某ウィキの現管理人が、正気を失った前管理人を車イスに座らせて、地下のゴミ集積所へ突き落とし、真下にいたトットフォーが防御魔法でそれを受け止め、それをきっかけに前管理人との交際が始まるラブコメを基に⋯タルパの真理探究を描く冒険ストーリーでも始めようと考えていた。
タルパ界隈の古参文化を比喩表現した中間地下階層
まぁ、いまさらと言うか⋯もはや、隠したり遠回しに書き述べる必要はないだろう。前管理人であるペンライト氏は、クロリン氏により哲学者ニーチェのイラストをあてがわれ「ヘソライト」ともじられ大ブレイクした。自分も電車やバスの中で急にこれを思い出し、笑いを堪えるので必死になったこと多々である。ヘソライトとトットフォーは、タルパの真理を求めてピクシティから抜け出す決意をする。しかし、タルパ界隈でそれまでに築き上げられてきた古参文化とはどう向き合うのか?最下層の地下ゴミ集積所から地上へ抜け出るまで、通過が必要となる中間に広がる地下世界は、まさに古参連中が多く集まって暮らす地下都市社会になると言える。そこでの主人公、マフィアのボス、ザナドゥは浮き草氏やタルパ戦争にも深く関与していたと思われる人物をもじった存在となる。
欲しいものは努力して手に入れろ
タルパ界隈の関係者や一部のオカルト他界隈民でないと、全容の見づらい話になるかもしれない。いずれ、リメイク版と言うことで⋯創作小説の再執筆はしたいとは思っている。ただ、今は考察が手一杯で、それはかなり先の話になるかもしれない。とりま、あらすじや作中に込めた思惑だけは⋯変な誤解をされるのも嫌なので、ここで先に描き述べておくことにした。何も考えずただ面白半分にタルパ界隈をいじり回して遊んでいた訳じゃない。皮肉も相当交えているが⋯みなそれぞれのタルパ実践観のようなものを見てみたかった。ホント、みんなが現実で欲しかったものは一体何だろうな。結局、当方のアンチは自滅したし⋯十代の多感な青少年ならまだしも、20代、30代のいい歳した大人がそれで葛藤しているのはみっともない。子供じゃないだろ⋯欲しいものは努力して手に入れろ。
真の自動化は言葉じゃ語りきれん何かを察すること
もちろん、人生は思った通りには行かない。願っていたことの半分も実現できたら上々だろう。とりま、努力だけではどうにもならない時もある⋯そういうことも踏まえた上で、欲しいものを手に入れる希望を持て。それをお前らの傍らで応援して支えてくれる存在が⋯タルパやイマジナリーフレンドとちゃうか?もちろん、大切な点になるので何度も言っておくが⋯努力だけではどうにもならん時もある。タルパは万能ではない。しかし、どんな苦しい時も一緒に同じ時を過ごしてくれた存在は⋯人生で最大の宝物になるだろう。一人二役の訓練法をカン違いして、憑依と抜かしているうちはダメだろうな。自分で自分のことが増々わからなくなるだけや。ちゃんとタルパと面と向かい合え。これもカン違いして欲しくないのだが⋯言葉は絶対に必要じゃない。示される表情も立派な自我だ。