量子社会の倫理

投稿日 2023.03.26 更新日 2023.03.27
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話の流れのついではないが⋯今度は社会科学の側面から、遠い未来の文明社会について語ってみたいと思う。未来は量子力学を基盤とした社会になることだろう。それにより様々な倫理上の問題が浮上して来ると思う。人工的に幽体離脱のような現象を起こすことのできる技術が開発されたら、健康的で容姿の優れた肉体を欲するようになると思う。人間として当然の感情だ。また、誰でも多少なりとも変身願望を持っているものだ。普通のどこでもドアでは飽き足らず、出口の向こう側で再合成された自分の肉体を、アバターのような感覚で別の姿に置き換えようと考える者も必ず現れるだろう。しかし、同じ意識が保たれた同一人物であったとしても、容姿が変わるような状況になったら大変だ。誰が誰だか訳がわからなくなり混乱が生じる。この点はどうなるのか?

もちろん、意識世界⋯異次元空間となる量子の世界の中の話であれば、まったく問題はないだろう。そこは意識と意識が直接的にコンタクトできる世界だ。外見のイメージがなんであろうと相手はすぐに誰と判断できるから問題ない。しかし、現実空間でなると大問題である。文明の究極的な形態となる異次元文明に至るまでの間、物質的価値観と精神的価値観の共存とそれに伴うジレンマは、社会の様々な方面で物議を醸すことだろう。だから、テレビの特番で語られるような宇宙人は、どいつもこいつも同じような姿をしているのかもしれない。多くの場合、テレパシーが使えます設定なので、テレパシー=意識と意識の直接的コンタクトを意味するので、もはや、現実空間での外見はどうでもよくなるのかもしれない。もう面倒だからみんな同じ姿でよくね?になるんだろう。

まぁ、それは冗談として⋯物質的価値観を残す旧来スタイルの文明が、いよいよ、完全なる異次元文明として完遂する直前くらいになると⋯人はみな、宇宙人グレイのような銀色ツルテカで無機質的な姿に変わり果てるかもしれない。たぶん、異次元空間を介する形で意識と意識が直接的にコンタクトできる「テレパシー技術」も開発されていることだろう。このカテゴリーの一番最初の記事で「下手をしたら言語を使用しておらず、超能力のように感覚で意思疎通している人達かもしれない」とはそう言う意図である。ただ、容姿がどうでもよくなる訳ではない。やはり、グレイを見続けていると凹む。グレイのような姿に変わり果てた肉体に、外見的なイメージ情報を重ね合わせるよう投影、再現される形になると思う。グレイでもイケメンや美女に見えることだろう。

昨今はメタバースなるものが注目を集めているようだが⋯遠い未来の文明社会におけるそれは、現実空間と拡張的な意識世界としての異次元空間が重複した現実味あるものになっていることだろう。最終的に意識世界としての異次元空間への比重が100%になった段階が、文明の究極的な形態と言えるだろう。そのような流れで異次元文明が完遂されると思う。現実空間にあるすべての物が良い意味でどうでもよくなるだろう。その先駆けとなるものが、前回記事でも指摘した通り通貨になると思う。お金は物と交換するための物である。物がどうでもよくなれば、お金も物としての価値を失い別の役割を果たすようになるだろう。善行ポイントのようなものに変わるかもしれない。真の意味でのお金持ち、精神的な豊かさを示すバロメーター的なものに変わるかもしれない。

つまり、異次元文明は基本的に良い人たちばかりであふれた理想郷のような場所になるかもしれない。ただ、何をもって善行とするのか?これは永遠の課題となるだろう。やはり、人が意識だけの姿へ昇華しても、人間関係の難しさは差して変わらないと思う。特に恋愛感情はどんなに科学技術の発達した未来社会でも切実なものとして残り続けるだろう。こればかりは自由自在といかない。また、肉体を不必要とする=「あらゆる病気からの解放」を意味するかのように思われるが⋯それは生化学的な病理現象、ウィルスや細菌による疾患などに限定されるもので、精神疾患だけは容易に解決されないと思う。これに伴い、意識を直接的に改変操作する治療の是非について議論を呼ぶことだろう。意識の同一性や不変性は絶対原則となるはずだから、未来も悩ましい問題は尽きなさそうだ。