地動説的イメージ力でタルパを作り上げろ
物事は自分の思惑通りに進まないものだ。タルパはその究極と言えるだろう。存在しないものを存在しているかのように考えるのは矛盾している。不可知論的に無意味な行いとなる。死後の世界を考えるヤツはバカ⋯だから、これは正しい。そもそも、私は死んだことありませんので、私が語るオカルト的な死生観はそれこそ詐欺師の言かもしれませんよ。しかしと言うか⋯もちろん、私が伝えたかった本意はそう言った表面的なものではありません。死に憧れるような馬鹿げた感情、通称「希死念慮」をぶっ壊し、死に怯えない充実した人生をトコトン追求して欲しい一心から、そのような奇をてらった比喩表現に努めていたつもりです。すべては比喩表現です。そして、物事は決して自分の思い通りに行きません。今日はそのことを伝えたいと思います。
タルパ作りの視点
去年後半あたりから⋯フロイト心理学に基づくタルパ感を模索し始めた。提携するウィキでの赤面したくなるような大人なコーナーはその布石に過ぎない。従来通りのやり方、正攻法では「お前の持論、却下」となっていただろう。強引かもしれないが、すでにぽまえらの胃袋に手を突っ込んでいるつもりでいる。停滞するタルパ界隈に風穴を開けるためのショック療法やな。そんな話はともかく⋯冒頭でも述べた通り、決して思い通りに行かない物事とタルパ作りの関係性について語ろうと思う。まず、従来のタルパ作りの基本思想もぶっ壊す必要があります。自動化や視覚化の訓練⋯これ、ホントどうやって実践してます?そして、タルパ側の都合は一切考慮せず、自分視点、自分都合で訓練を推し進めようとしてません?自分軸から絶対的に見るようタルパを作り出そうとしてません?
ガリレオの心でタルパ作りに再挑戦
タルパ側の都合と言っても⋯ここでは、タルパの自我や尊厳を考えようと言っている訳ではありません。タルパ側⋯すなわち、あなたを取り巻く環境の一要素としてのものです。現実の人間関係が自分の思い通りに行かず悩む人は多い。根本的にそれと同種の課題となります。人は往々に自分軸、自分視点の思考に囚われがちです。一度、その心の悩みから感情を切り離して、自分を俯瞰⋯メタ認知することで真実が見えて来るようになるかもしれません。言わば、天動説から地動説のような思考に変えてみよう!そう言いたいです。はい。自分軸をぶっ壊して、回りにあるすべてのものを相対的に見るよう⋯タルパ作りに励めば、飛躍的な改善が見込めるかもしれせん。微オート止まりだった人も、完オートまでの道筋が見えるようになって来るかもしれません。
自動化は自分を思い知る過程と再定義する必要がある
フロイト心理学の心理性的発達理論における肛門期は⋯自分と周囲の相対化、相手軸からも動いていることを認知、醸成して行くプロセスです。物事は自分軸を中心に決して動いていないことを思い知るための大切な育児過程です。これはタルパ作りにおける自動化と特に親和性の高い思想になると考えます。一人二役の基礎訓練はその実践形態から自分軸へ収束しやすくなると思います。オカルト的な出自や由縁のない憑依、または、心理学的な催眠行為として憑依でない⋯適当でいい加減なものへ収束して行くことでしょう。何をもって無意識化と言うのか?ひとつひとつの要素、挙動を見つめ直し、再構築や再定義して行くことが大切だと言えるでしょう。現状におけるタルパ界隈の自動化訓練は、若者に絶望的な結果と無駄な時間浪費を招くだけの無意味なものです。
本当の意味での憑依実践も可能になるかも
自動化は一人二役の基礎訓練を出発点に、単に言語応答性の無意識化を図るためだけのものではありません。自分自身のネガティブな感情を排泄コントロールしながら、自分自身の中にタルパの自我とも言うべきコアを醸成して行く作業になります。また、タルパに期待する応答性は非言語でも構いません。啓示やテレパシーのような感覚でも良いでしょう。それを養う補助訓練法としてタロットやオラクルカードなどを使用した方法は良いかもしれません。ただ、あくまでも訓練補助なので半オートあたりから控えた方が良いかも。まぁ、占い師タルパーとしてタルパを使役したいなら、そういう趣向の永続的な育成も良いでしょう。これまでの自動化訓練を大幅に見直すことで、本当の意味での憑依実践も可能になるかもしれません。本音代弁、自己正当化のためでない憑依です。