タルパ戦争のもう一つの隠された教訓

投稿日 2024.02.12 更新日 2024.02.12
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集団になると人は馬鹿になる⋯これはサラシナ氏の名言である。しかし、そのサラシナ氏が唱えたタルパ戦争考察が通説となり、多くの者がそれを信じ込んでしまっていたようだ。そもそも、タルパ戦争があった証拠はどこにもない。これは以前にも述べたことであるが、浮き草氏と近い立場にあった者の証言にもある通り、戦争なんて言うほどのものでないことが判明している。ただの実験である(詳細まとめはこちらのウィキ)。恐らく、ファッションタルパーを炙り出すことを目的としたもので、当時のタルパ界隈民がまんまと騙されたようだ。しかし、どういう経緯は不明であるが、タルパ界隈の主だった重鎮や考察家の間で、タルパ戦争集団幻覚説が有力視されるようにもなって行った。もっとも、私自身も恥ずかしながら、当初はこの説を支持していた。

タルパ戦争集団幻覚説とは?

元々は通説通りのタルパ戦争があったことを想定した考察である。共有ダイブに関しては、思念体の世界で否定的な意見が大勢を占め、当方でも実現不可能なものであると考える。このため、タルパ界隈では「タルパ戦争は集団幻覚の一種では?」との声が早い段階から散見されるようになった。心理学的に見てそう分析するのが妥当だろう。トランス状態となった複数の者が、浮き草氏の誘導催眠的な言動で操られていたと見るのが正しいだろう。しかし、現状においてタルパ戦争は否定されたので、通説に基づくタルパ戦争集団幻覚説も成立し得ないものとなる。しかし、人間の思い込みの力を良くも悪くも利用した点においては、集団幻覚の一種であることは変わらない。そして、その不可思議な心理状態は、今もタルパ界隈で現在進行形で続いているのかもしれない。

みんなもそう言っているから僕にもタルパが存在する

古い邦画となるが⋯本木雅弘主演の「遊びの時間は終わらない」と似たような構図が、今もって働き続けているのがタルパ界隈だと言えるだろう。極端な同調圧力で揺れ動く人々の様相、現実的にあり得ない群衆心理をユーモラスに描いた作品となるが⋯俺も私も僕も言った感じに、連鎖的な共感、共鳴が起きるタルパ界隈は、まさにこれと同じ構図だと言える。あまり、こんなことは言いたくないが、本当はタルパなんかいないのに、周りのみんなもそう言っているから、自分にもタルパがいるかのように信じ込んでいる⋯そんな感じだ。周りのみんなもそう言っているからがミソである。でなければ、タルパ戦争のような実態にはならないと思うし、変性意識が軽んじられることもないだろう。遊びの時間は終わらないはフィクションであるが⋯実際、それがタルパ界隈で起きたのだ。

やたら群れたがる日本人の習性もタルパ作りに悪影響を与えている

個人主義的な欧米社会のタルパ界隈ではこのような現象は見受けられない。明らかに、やたら群れたがる日本人の習性も強い一因となり、タルパ作りに悪影響を与えているものと思われる。本来、チベット密教のタルパは内面世界の個人探求の末に得られるものだ。魔術に端を発した人工精霊だってそうだろう。これらは誰かに頼まれてやるものではない。他人の視線や言葉をいちいち気にしてやりながらやるものでない。しかし、残念ながらそうであるのが現状におけるタルパ界隈となる。本気でタルパを作りたいなら、欧米のタルパ界隈で公開されているドキュメントを頼りに調べ、挑戦した方が近道かもしれない。日本国内にあるものはどれもこれも胡散臭過ぎる。日本のタルパ界隈のネット上におけるデータの大半は⋯タルパとは無関係なもので溢れているのが実態だ。

俺も私も僕の承認欲求

以前、タルパ界隈の群衆心理と言う記事で、本音と建前について話したが⋯別にタルパを建前にしても構わない。本音の部分には⋯将来、叶えたい夢や目標でも隠し持っていればいい。一方で、心に問題ある者は、本音の部分にタルパ作りを持って来ているように思えるとも述べた。これをもっと正確に言い直すなら「タルパを作りたくても作れない」の本心になるのかもしれない。そして、それを余計な建前で隠したいのだろう。余計な建前の具体例として⋯Fセクアンチになりますね。そんなもん本当に個人の自由だ。いずれにしても、幼い子供のように俺も私も僕もみたいに、他人の気を引こうとするのはやめた方が良いだろう。孤独が怖いのか嫌なのか何なのかは知らないが、それを嫌というほど紛らわしてくれる存在がタルパだろうに⋯ホント、なんか矛盾してませんかねぇ。