病気や薬物による幻覚も思念体に含まれるのか?

投稿日 2023.03.23 更新日 2023.03.24
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イマジナリーフレンドにしろ人工精霊(タルパ)にしろ、その形態の類似性から、双極性障害や内在性解離、解離性同一性障害と混同されがちである。前回の記事でも指摘した通り、人格と思念体はまったくの別物である。そもそも論になるが、思念体に独立した意思、思念体独自の自我を醸成するプロセスを「自動化」と呼ぶはずだ。精神疾患により不安定化、分離した自我を思念体と位置付けるのは早計である。薬物により何らかの存在を誘発させている者も同様で、思念体は前提条件も大切だが「再現性」も重要な要素となる。あやしい薬を飲まないと出現させることのできない存在はただの化学反応に過ぎない。この手の輩の主張する思念体は、酔っ払いのおっさんが見えているものまで思念体と言う域まで話が飛躍してしまう恐れのある馬鹿げたものである。

自我とは何か?

自我とは⋯自分で自分を感じる自己同一感に他ならない。同時に自己肯定感も比例するように伴う。これまでの話の内容から、自我の弱さが諸悪の根源のように思われるが、自我が強過ぎるのも問題なのは言うまでもない。強過ぎる自我は完璧主義や強迫観念的なものがデメリットとして表面化して来る。てか、双極性障害の躁状態がそれに近いかも。何事も是々非々の中庸が一番である。まぁ、こう言った方面の代物をやるにはそれなりの覚悟が必要だ。だから、一般人よりやや強めの自我、自己肯定感の持ち主でないと実践は難しいと言えるだろう。思念体は信じる切ることで実現するものだから、迷いの感情が少しでもあるような自己肯定感の低いヤツに思念体を完遂することはできないし、メンヘラや薬中は魂を削いでやっているようなものだから老化が早く長生きはできないだろう。

そもそも人格は占有的なもの

双極性障害や内在性解離で感じる人格⋯いや、人格のような存在は、気分の偏向や解離による⋯いや、もっと分かりやすく言ってしまえば、ただの気分のムラに過ぎないから自分自身の分身、一部に過ぎない。断じて思念体ではないし人格解離でもない。また、人格は一つの肉体に一つであり続けるのが原則で、本物の人格解離であれば特定の人格の肉体を占有され続けるし、その間、他人格の記憶は欠落するものとされている。もちろん、どんな病気にも程度の差と言うものがある。しかし、双極性障害や内在性解離などの気分障害と、ガチの解離性同一性障害の中間的なものには疑問だ。これら気分障害を発端に解離性同一性障害に至るケースもあるらしいが⋯稲妻でも落ちて来るような衝撃的な出来事に遭遇でもしない限り、容易に解離性同一性障害へ至るとは思えない。

人格で人格を感じることができるのか?

そもそも、人格で人格を感じることができるのが疑問である。自分の自我で自分の自我をどう感じるのが謎。ハイヤーセルフか?なら、思念体ではなく超自我的スゲー俺がいる!!と誇っていた方がまだ精神的に健全な気がする。そのまま自分をどんどん好きになり、自己肯定感を高める方向性で過ごしていた方が良いだろう。イマジナリーフレンドや人工精霊(タルパ)なんかに興味を持つなと言いたい。少し話が逸れてしまったが⋯もう少し、人格と思念体の関係性について考察、研究を深める必要性があると言えるだろう。イマジナリーフレンドや人工精霊(タルパ)をきっかけ、オカスピの世界にただの精神疾患のおっさんやおばはん、薬中が彷徨い込んで来ている状況が生じている。いずれ同じオカスピの他界隈も迷惑や被害を被るだろう。定義を曖昧なまま放置してはいけない。

薬中の称する存在は雑念の集合物

あやしいお薬や医薬品の過剰摂取(OD)を一回でもやったことのある者はアウトである。そのような輩が思念体について語る資格はない。厳しい発言になるが⋯ほぼ不可逆的なものであり、薬効中であったり後遺症が残った脳で見えるものは雑念の集合物に過ぎない。思念体を作る際、悪しき雑念を可能な限り排する必要がある。もちろん、別にチベットの坊さんになりきることはない。基本、楽しくやるものですから⋯おすすめはしませんが、惚気目的で思念体を作っても構わないと思います(この詳細は次回語る予定)。話を元に戻すとして⋯薬物で誘発させているものは、見事に薬物中毒患者の特徴が反映されている。原色的な服飾が施されていたり、信号色の髪をしているなど、非常にサイケデリックな存在となっている。本物は自然な色合いをしたデザインとなる。