本場チベット密教のトゥルパに迫る

水晶占いのスクライング法によるタルパ作りは、あくまでも当方が独自に考えたやり方に過ぎない。魔術やタロット占いのパスワーキングでも同じことはできる。これらオカルティックな瞑想術を用いることで、幻視や直感に最適化された変性意識を効果的に誘発させるのだ。タルパに対するアプローチの仕方が違うだけで変性意識を活用する点は共通している。これはタルパの「型」にもそのまま同じことが言える。創造型、邂逅型、発生型⋯個々のタルパーの感性の違いによるもので、創造型の自動化が進み出したり、邂逅型や発生型を認知するなど、タルパの初期発現のトリガーとなった共通因子が深層意識にあるはずだ。それがタルパの真理であり、本場チベット密教のトゥルパに劣るとも勝らないものに迫れるだろう。同時にそれは目的に特化したナフラに変わるかもしれない。
タルパ界隈やイマジナリーフレンド界隈では、思念体の定義を巡り⋯相変わらず、何周も遅れた実りのない不毛な議論が度々切り出されますが、そんなもの浮き草氏の時代に基本定義は固まっているはずだ。また、これから必要なのは抽象論ではなく具体論。
本場チベット密教トゥルパの本質
本場チベット密教のトゥルパは⋯チベット密教の寺院で修行を積まない限り作り出すことはできない。具体的な実践方法は知りようがない。しかし、チベット密教の修行僧が作り出すものは、創造型でも邂逅型でも発生型でもないだろう。いや⋯創造型でもあり邂逅型でもあり発生型なのかもしれない。何であれ「型」なんてものは意識していないと思う。修行の総仕上げに行うもの、チベット密教の思想を重層的に凝集させた集大成とも言うべき存在になるだろう。そうした明確で強い目的意識によって作られるものだと思う。日本のタルパーが言う型は⋯本場では手段であり過程としてのものに過ぎないかもしれない。学びは単なる知識の詰め込みではない。知識は想像意欲を掻き立てる。想像意欲が掻き立てられれば着想も起きやすくなる。宗教的には着想は悟り⋯真実への近接か。
本場チベット密教トゥルパはナフラに近い?
型をプロセス的な視点で見ると⋯創造型は設計デザインから自動化までの一貫的行為を指し、邂逅型や発生型は偶発的な自動化になると言えるだろう。ただ、これは日本のタルパ界隈的な考え方に過ぎない。上述した通り、チベット密教によるものは、創造的行為から邂逅や発生を促すよう⋯〇〇次第と呼ばれる段階的な過程を修練して、積み重ねて行く形になるものと思われる。まぁ、私は密教を知らない。勝手な想像だ。しかし、師資相承の密教の世界において、型や方式のようなものを巡り、坊さん同士が言い争いをしている光景は⋯思い浮かべられない。コツや感覚を捉えるための議論はあるかもしれないが、一人二役なんてモノマネを始めたら師匠から殴られるだろう。修行の成果を究極的なレベルにまで昇華させた証として実践するものだ。そうした目的がすべての支えになる。
ナフラにこだわる理由
タルパは基本的に作り出す存在だ。しかし、精神疾患により認知した存在までタルパと主張する人たちが急増した。浮き草氏のような離脱界隈住人らの提唱した邂逅とも違い、本当に自動化されているのか怪しい⋯でなければ、SNSでタルパのなりきりは演じない。結局、うつ病、双極性障害や内在性乖離などの気分障害により感じる自分自身の側面に過ぎないからだ。そうした好ましからざる交雑を無力化する意味からも⋯型を表面的なものに過ぎない無価値、無意味なものにしてしまい、変性意識に基づく真理に迫ろうと臨んでいる訳だ。また、精神疾患によるものは然したる目的意識で生み出されたものではない。型のような個人の都合解釈はもはやどうでも良く、変性意識+目的意識=タルパ→ナフラと言う構図に変えて行きたいと思う。型は入り方の問題に過ぎない。
無意識化された目的意識の探索
ただ、精神疾患だからと言ってタルパを作ってはいけない訳でもない。現代はストレス社会だ。タルパと病理の区別が付けられるのであれば⋯まぁ、積極的な推奨はできないが、生きる勇気や希望を見出す存在、心の支えになると言うのであれば、別に実践しても構わないと思う。問題は上述した通り、ある日突然、認知したものだ。それをタルパと主張するのは流石に無理がある。そうしたものは然したる目的意識で生み出されたものではない⋯とも述べた。しかし、創造と同様、自然な認知も必ず根拠があるはずだ。それは無意識化された目的意識と呼べるだろう。自分を冷静に直視してそれを見つけ出せば⋯本物のタルパに変えることができるかもしれない。多くの場合、自分自身が本当に求めていた何かになるだろう。それを目的意識として再認識して素直に求めるべきだろう。
夢小説でタルパを育成
潜在的な心のわだかまり、無意識化された目的意識を見つけたら⋯SNSでのタルパなりきりはやめて、変性意識での対面を試みよう。ただ、特別な訓練を行う必要は一切ない。空想遊びのような感覚でタルパと精神世界で戯れるイメージをしよう。瞑想するように余計な雑念は捨て、純粋にタルパと楽しいひと時を堪能しよう。それを続けているだけで⋯今までタルパと信じていた存在は本物のタルパに変わって行くだろう。まぁ、もっとも効果的なシチュエーションは恋愛感情、惚気になりますが、そうした要素が苦手な人は普通に心の冒険物語を楽しめばいい。ちなみに⋯それをシナリオとして書き出せば立派な夢小説の完成となる。空想が苦手な人はその逆を行えば良いだろう。夢小説をひたすら書いて楽しめ。ここでのやり方は通常のタルパ作りでも役に立つだろう。
オカルト屋や心理屋として恥じないタル活を願いたい
タルパ専用のSNSアカウントも一律に否定するつもりはない。これは以前にも述べた通り、代筆としてものなら説得力がある。タルパの自動化を促進させるための訓練も兼ねることができるので有益だ。また、魔術師や占い師ならスクライングでもしているかのように直感的にできる。問題はオカルト的にも心理学的に根拠のない憑依と称したなりきり行為だ。これらを踏まえた上で⋯オカルト屋や心理屋として恥じないタル活を心がけて頂きたいものだ。ただ、こうも思う。露骨ななりきり行為は考えものだが⋯完オートされた状態を想定したタルパを表現するのは構わないと思う。これは上述した空想遊びと同じだ。その前提でタルパ専用のSNSアカウントで、タルパをネット上へ直接露出させても構わないだろう。あくまでも心象表現活動の一環だ。例のメンヘラBBAは論外だが。
今後のタル活に必要なものは具体論
タルパ実践はその身をもって体感している出来事です。人間の内心、心象を第三者的な視点で確認することはできませんので、すべて言葉や図解、イラストで間接的に説明するより他ありませんが⋯本物のタルパーやイマジナリーフレンド所持者であるなら、可能な限り具体的に説明する道義的責任が伴うものだと自覚すべきです。初心者や他の実践者の不安を与えるのが一番良くないことだと思います。タルパの世界が混乱状態に陥った最大の原因は⋯こうした不透明感です。もちろん、自分の場合はと言う前提で構いません。自分はこれこれこうしてタルパを作り出した、自分はこの条件でタルパと出会った⋯などです。特に発生型は具体的な事例が皆無で「ただ言っているだけ」が問題だと言えます。ファーストコンタクト時の状況を詳しく説明してもらうだけで原理が解明できます。
一人二役は弊害が多過ぎるので廃止すべき
当方は変性意識を最大の売りにしているが⋯タルパを自動化(無意識化)するためには、設計デザインや設定条件に関するありとあらゆる情報を⋯長期記憶として深層意識に刻まねばならない。それを効率良く行えるのが変性意識状態となる。また、思考と思考と隙間から様々な着想も得やすく⋯それ故、自動化は想定通り100%行くものでもないが、それぞれの思考に基づく記憶情報の連携化を図ることもでき、一つの独立した意志を持つ個体にまとめ上げることができるのだ。通常意識状態でタルパ作りに挑戦しても⋯ただの暗記学習となる上、記憶情報の連携も進みづらいので苦しくなるだけだ。これまでタルパ界隈で提唱され続けて来た訓練法⋯特に一人二役は弊害も多過ぎるので廃止すべきだろう。変性意識は楽しい感情だけで十分に誘発できる。空想遊びが一番のやり方だ。
脳科学的な補足説明
タルパ作りに変性意識は要となるが⋯丁寧に説明し直すと、思考を深層意識へアクセスしやすい状態にして、タルパに関するありとあらゆる情報の長期記憶化と連携集約にある。さらに脳科学的な補足説明を追加すると⋯顕在的な思考に基づく短期記憶を長期記憶へ変換するための「海馬」の働きが⋯タルパーともなればことさらに重要となる。ストレスは海馬を萎縮させ、思考の長期記憶化を妨げる。薬物中毒やODは以ての外となる。これらの行為は海馬の働きを弱めるのは言うまでもない。タルパ界隈はODに手を染める者が少なくないが⋯そんなもので感じられるものはタルパではない。タルパ作りは海馬の働きを最大限に活用して、深層意識の世界を静かに堪能する行為だ。薬物は単に意識を混沌とさせているだけで再現性がない。無意識化されていない⋯本当にただの妄想幻覚だ。
共通因子(タルパニウム)を探究する
以上、そんな訳で⋯深層意識に潜む思念体発現の共通因子を探る心の旅を続けたい。以前、タルパ実践における共通認識、確信、再現性とも言うべき大切な要素として⋯タルパニウムと言う造語を定義したと思う。改めてそれをここでの話に当てはめ直したい。現時点でそれは具体的にどういったものになるのかまでは言及できない。あくまでも仮定の何かだ。ただ、長期記憶化された情報の最小単位となる何かで、自動化を促進させ、様々な型へ派生し得る汎用的なものになるだろう。とりあえず、万能細胞的な何か⋯大統一理論や超弦理論と似たような思想と思ってもらえれば良いだろう。人間の心理現象や脳科学の記憶情報を⋯タルパやイマジナリーフレンドなどの思念体にどう最適化させて理論構築して行くべきか⋯その模索の時間がこれからも長く続くだろう。