語弊があるかもしれないが思念体はある意味で芸術作品

投稿日 2024.06.28 更新日 2024.06.28
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タルパ界隈における既存の訓練方法なんて⋯どれも無意味だ。やったところで大した成果は上がらないだろう。だって、通常意識状態で無意識化なんか絶対にできる訳ありませんから。根本的にどれもこれもやり方が間違っているのだ。本来、多くのタルパ界隈民が⋯日々の訓練の様子、進捗状況などを、ブログやSNSに投稿、報告して、互いに切磋琢磨し合うもんだと思う。そんな光景が普通にあって良さそうに思える。しかし、どういう訳か誰一人としてやらない。実に不自然だ。そりゃ確実にとん挫するから、誰もそんなものを書ける訳がない。もっとも、それ以前に訓練をさぼっている者が圧倒的で、訓練不要の発生型とか才能だとか言い訳を始める者まで現れる始末だ。間違いを見抜けず踊らされているようなものなので、それを才能と呼ぶには値しない。

変性意識に言及しない考察家

訓練を前提としたタルパに⋯わざわざ、訓練不要なタルパと称する意味や理由がわからない。普通にイマジナリーフレンドな気がする。本当は訓練に行き詰った者だろう。故に自動化なんかまったくされていないだろう。わかった振りはやめろ。まぁ、そんな感じで⋯タルパ界隈は間違ったやり方や考え方が常態化してしまっている。さらに、各個人の事情(歪んだ性認識や精神疾患、いじめ体験)も絡まり、改善をより困難なものにしている。思念体作成に必須となる変性意識について触れられない、避けられる理由は明確だ。心に闇のある者は⋯深層意識に積極的に触れる行為は禁忌となるからだ。多くの考察家が提唱する訓練法で、あえて変性意識について語らない、触れないのは、そうした者に対する配慮なのだ。チベット密教の件もそうだが⋯わかってないはずはないから悪質だ。

既存の訓練法はすべて無意味である

こう言った代物は精神面に限定されるものと思われがちだが、肉体面⋯特に脳が深く関係して来るのは言うまでもないはずだ。脳疾患が原因で見えたり感じている可能性のある人に対して、安易に思念体だとかタルパ、イマジナリーフレンドなんて言える神経が理解できない。まずはその人の健康状態を心配するのが普通だろう。それが原因で発見や適切な処置が遅れ、その人が死んだら人殺しも同然だ。夢を壊すな?甘えるな。思念体は本来、魔術や占術、催眠分野の最高峰に位置付けられる技だ。オカルト派、科学派、このどちらでもいい。自分の立場を明確にして前提条件を見直そう。とりあえず、思念体の世界をグレートリセットする必要があると言える。既存の訓練法はすべて否定して、今後は変性意識を明確に打ち出した手法を浸透させて行く必要があると言える。

創作的手法が訓練の代わりになる理由

個人的に白昼夢を利用した創作的手法、シナリオ空想法なるものを提唱しているが、あくまでも私個人として一例に過ぎない。変性意識を有効活用する視点からの新規提案、既存訓練法の改善ならいろいろあって良いと思う。ところで、創作的手法に対して批判的な人もいるだろう。また前置きが長くなってしまった、きちんとした根拠と有効性を説明しておきたい。ただ、それほど長い文章にはならない。精神世界って⋯結局、その人の感動的体験に基づくものに過ぎないの一言に尽きるからだ。そのわかりやすい具体例として芸術家の「作風」があげられる。作風は単純思考作業で再現できるものではない。感動的体験という変性意識状態の積み重ねの行為により、深層意識へ刻まれたものを一定の方向へ集大成化させたものだ。一定の方向とはその人の思想や考えによるものとなる。

これほど動的イメージ(自動化)しやすいものはない

心象とは⋯人生における、ありとあらゆる感動と感激の記憶の欠片から作られるものだ。一朝一夕で形作れるものではない。だから、常日頃から感動と感激を体験し感性を高めておけ⋯人工精霊の作り方「運の光」でそう力説、唱えていたはずだ。これをまったく理解されず、ただ通常意識状態での思考で直情的な言動を繰り返していた者が多くいた。そのような者たちの言う思念体は思念体ではない。ただの病理的幻覚症状だろう。薬物は論外だ。個人的な愚痴はともかく⋯音楽、映像、執筆など、そうした個人的な資質によるところの影響が強い。創作的な行為は⋯実際にやっている人ならわかるはずだが、本当に没頭していると思う。変性意識状態にあるからだ。深層意識へつながり己の作風を具現化しようとしている状態だ。これほど動的イメージ(自動化)しやすいものもない。