思念体のために現実での判断や行動を誤ってはならない

投稿日 2024.01.08 更新日 2024.01.09
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2024年は波乱に満ちたスタートとなった。能登半島地震に羽田航空機事故⋯これ以外にも、信じがたい事件事故が立て続けに起きた。地震による行方不明者は依然として多く残されており、一刻も早く発見され、一人でも多くの人が助かることを願うばかりである。羽田の事故においては、海保機の乗員5名が亡くなり、冥福を祈る他ない結果となったが⋯その一方で、JALの対応は世界中から賞賛されており、緊急時における良い事例となった。しかし、貨物室に乗客のペットが預けられていたことが不自然にズームアップされ、妙な物議を醸している。ペットも人間と一緒に客室に入れるべきか否か?非常時は人間と一緒に脱出できるようにすべきか否か?の賛否両論である。結論から言うと、貨物室に載せるのが嫌なら、ペットホテルに預けるべきだし自分ならそうする。

最善の選択肢とは何かを考える

ペットは家族、寂しい思いをさせたくない、どこでも一緒⋯それは人間側の主観でありエゴに過ぎない。基本、動物は環境の急変を嫌い、旅行に連れ歩くのは無理がある。動物は人間と違って制止も効きづらい。緊急時、パニックを起こして、他の乗客の脱出の妨げとなることは必至だろう。私の身内に航空会社に勤めていた者がいるのだが⋯たまに、犬と呼んで良いのか迷うくらい大きな犬を、貨物室に搬入する時があったと聞く。そんなものが非常時に機内で暴れられたらたまらない。動物愛護の精神は大切であるが、非常事態において、それが人間の命に勝ってはならない。人命優先は当たり前でこれに議論の余地はない。ペットホテルに預けるのが最善の選択肢であり、そうすることが真の愛犬家、愛猫家と言えるだろう。それができないなら飼うべきでない。

非現実的な想定や前提で物事を考えるな

結局、覚悟もなく中途半端な意思で飼い始めるから、この手の問題に直面すると、道理を曲げるような非現実的、感情的な主張をし始めるのだ。航空機事故の現場対応は1秒を争う。自制の効かない犬や猫に構っていられる余裕、時間なんかまったくない。ペットとの客室同室を求める人は、自分が助かる前提で話をしているかのような感じに思えてならない。これは航空機事故に限らない⋯地震や火災など、あらゆる状況が想定される。と、まぁ⋯これは思念体世界の住民がよく考えるべき「命題」の代表例になるとも言えるだろう。昔、私が人工精霊の作り方を解説したサイトを運営していた際、人工精霊の体長は、新幹線や旅客機のドア幅を基準に考えようと述べていたと思う。今にして思えば、あの記事も不適切だったと思う。非常時のことをまったく考慮していなかった。

人は純真が過ぎると自分だけのことしか見えなくなる

思念体も旅先へ直接帯同させる形で連れ歩かない方が良いと言えるだろう。ダイブ界にいてもらえば、当サイトが新しく提唱した依り代の使用方法で、あなたが全国、いや、世界のどこへ移動しようとも、依り代を介する形でダイブ界にいる思念体との意思疎通は可能となる。旧方式の依り代と異なり、依り代そのものが破損したり紛失しても問題ない。新方式では「技」を発現させるための、いくらでも替えの効く道具に過ぎない。しかし、そんな話も形式論に過ぎない。ここで問い質したい本懐は、人は純真が過ぎると自分だけのことしか見えなくなり、行動に対する選択肢が狭まり、状況を支配したりコントロールできるものと錯誤する点に注意すべきであることを述べたいのだ。犬猫のために航空法が改訂できないように、思念体のために現実での判断や行動を誤ってはならない。

カルトの出発点となる危険な発想

純心、すなわち、悪意のない心境であるため⋯それはしばしば、正義とも勘違いされやすい。最初は正義で始めたことが、気づいたら、多くの不幸を招いていたことは⋯歴史上においてもままあった。これは時間の経過とともに「手段の目的化」も招きやすい危険な心境でもある。注意されたし。特に、比喩表現がまったく理解できず、思念体は生きているとか、思念体を都合よく利用するなとか、思念体の権利がどうこう⋯言っている人ですわ。タルパ界隈を見りゃわかりますが、実際、それで自分の考えや意見と違うと言うだけの理由で噛みついて来る訳ですからカルトもいいところでしょう。そう、カルトの出発点は純心です。さぞ、現実生活では選択を間違え、生きづらくなっていることだと思う。少なくとも、それで幸せそうにしている人なんて一人もいない。