思念体の本質は「引き寄せの法則」による邂逅
前回記事の内容をまとめ直すと⋯思念体と言うものは、本来、真理や理を求め続けた結果として存在であり、自分自身の心の象徴とも言うべきものである。見た目はどうでも良い訳ではないが、そんなものは二の次で、より正しくまっすぐな心であれば美しいものが召喚されるという話に過ぎない⋯そんな気がして来た。故に、すべての思念体は本質的には「邂逅型」であり、見た目と言った容姿を最優先にしたものが創造型と言う見かけの手法に過ぎず、今日における人工精霊、タルパ、イマジナリーフレンドなどになる。考え方が飛躍し過ぎているように思われるかもしれないが、自分自身の潜在意識・深層心理に対するコントロールを忘れ、オリキャラ製造メーカーと化した創造型や、精神疾患との区別のつかない発生型はどうにかすべき段階に来ていると言えるだろう。
創造型は見かけの手法に過ぎなかった説
こういう姿や性格をした思念体が欲しい⋯これって、ただの願望ですよね。思念体を形式的に見ると本質は邂逅だが、内面的、精神的に見ると本質は願望になると思う。願望以外の別の何かが感情的動機や理由になることはないだろう。考えられるものがない。故に、思念体は「引き寄せの法則」的なもので実現するものと言えなくもないだろう。だから、病み系や不幸自慢系のメンヘラが思念体をはじめと、滅茶苦茶な結果を招くのは当然だ。存在に対して外側からいろいろ装飾のようなことを施し、空気のお人形さんゴッコをしながら、辛うじて見た目は美しく保てても⋯思念体の原型、芯とも言うべき気の塊、オーラの容器の中へ、ドス黒い何かがどんどん引き寄せられ、中身は狂気に満ちた頭がおかしくなる何かでいっぱい詰まっている⋯そんな感じでしょうね。
邂逅型を創造的なものに変える試みで新しい思念体が見えて来る
しかし、思念体は本来作り出すものと言う本質も変わらないと思う。以前、そのように声高に主張していた自分に対する言い訳ではないが、意図性と言うニュアンスは同じだからそれは変わらないと思う。現状において、邂逅型は偶然出会う形と定義されているが、それはあくまでも「瞑想」や「明晰夢」と言う前提条件での話となる。邂逅も意図的と言えば意図的な演出なのだ。それに対して創造的要素を強めたものが、当サイトの提唱する後天性イマジナリーフレンドであったり、今後、発展が予想される求人型/求人票型の思念体となるものと考える。ダイブ界はそのための前提条件となる。今後は発生型もこれに組み込み、統一化の流れを作りたいと思う。発生型は変性意識を前提条件としないが⋯今は、実はそうだった説(反転ダイブ界説)の可能性が高いと見ている。
発生型を本物の思念体と見た場合の仮定
まぁ、普通にアハ体験(エウレカ効果)って線もあるだろうが⋯それだけで説明するのは難しいだろう。やはり、潜在意識の世界に長らく蓄積され続けていたものが、ある日突然、顕在意識に浮上して来た⋯もともと、先天的なイマジナリーフレンド所持者としての資質のあった者が、何かをきっかけに体験する現象になると思う。そのきっかけとなる出来事そのものはアハ体験になるかもしれん。しかし、前述した通り、それだけで自動化や視覚化まで完遂された状態の思念体が出現して来るとは思えん。発生型と称する人は訳ありな人が多い。何かに対する願いや思いのような感情は強いだろう。無意識に現実世界を仮想的なものとして見るようになっているのかもしれん。実際、現実感を喪失している傾向も強く感じられる。現実世界そのものがダイブ界と化している可能性がある。
発生型も変性意識が作用している可能性がある
現実感の喪失⋯通常意識であるも、軽めの変性意識の波がしばしば襲って来る感じ?まぁ、発生型の人は多感なんだと思う。とりあえず、発生型と称する人に取材を申し込み中であるのだが⋯反応がない。以上の話は私の勝手な考察で、当事者の話を直接聞かない限り断定的に言えるものではないだろう。あと、念のために書き添えておきますけど⋯メンヘラによる自称創造型と称した空気のお人形さんゴッコや、統合失調症などの重度の精神疾患による幻覚は論外となります。もちろん、精神疾患にある者のすべてを否定するつもりはありません。ご自身の症状をよく理解しており、一般社会と適応するために努力している人は別です。そのために役立つ、現実社会を生きるための希望になると言うのであれば⋯積極的な推奨はできませんが、思念体はやって構わないと思います。