主観に依存することの危うさ
本サイトは占い師による各種のオカルト研究になるが⋯あくまでも、オカルトと科学の中庸路線、超心理学である点はご留意ください。私はオカルト大好き人間ですが、なんでもかんでも信じている訳ではありません。心霊写真なんて99%偽物。持論になりますが、物理的な光学機器で幽霊を検出するの⋯難しいと思います。人間の意識は目で見えませんし匂いもありません。肉体を失い意識だけの存在となった幽霊は、視覚現象と言うより意識の次元を介する形で視覚化された直感です。霊臭も正確には臭気ではなく臭気として感じられる直感です。ぶっちゃけ、すべて主観の問題に過ぎません。そう感じる人はそう感じますし、何も感じない人は本当に何も感じない⋯それだけの違いに過ぎません。そして、世の圧倒的大多数の人は後者であると言うことです。
たくさんの言葉を持て
人工精霊やタルパ、イマジナリーフレンドもそうですが⋯思念体は良くも悪くも、自分の直感をただひたすら信じて、主観に頼り切った状態と言えなくもありません。そうでなければ思念体は作り出せませんし育成できません。精神的に紙一重な状態と言えるでしょう。ただ、恐れる必要もありません。言葉をたくさん持つことです。以前、人工精霊の作り方を紹介していたサイトを運営していた時にも強弁していた話ですが⋯とにかく「本を読め!!」に尽きます。ライトノベルでも何でもいい。語彙を増やし言葉の表現力を養おう。自分の主観を他人に見せることはできませんが、多くの言葉を持つことで、それを間接的に表現して正確に伝えることが望めます。イラストでも構いませんが⋯議論をする際、いちいち絵に書いて意思疎通、やり取りするには無理があります。
主観も言葉の力で客観化できる
もちろん、絵を書いて意思表示するやり方を否定するつもりはありません。議論にイラストや図解を併用すると質の良い討論へ発展して行きます。しかし、それはあくまでも補助に過ぎません。イラストや図解に対する質問は、やはり、言葉で答えるしかありません。最終的には言葉で結論が導き出されます。感性や直感も大切ですが⋯それを外部に向かって上手に言葉で伝えることができないと、どんなに素晴らしい感性や直感も認められることなく、そのうち自分自身でもそれを忘れ、永遠の闇の中へ葬り去られます。言葉をたくさん持っていれば、日記やメモもすらすら書いて記録できますからね。人工精霊・タルパ界隈、まぁ、イマジナリーフレンド界隈の住民もそうですが⋯みんな、どこか心の中でそう言ったジレンマを抱えているように見えなくもありません。
言語力と会話自動化の関係性は明確である
何か⋯自分の中にあるものを上手く言葉で伝えることができない状態⋯そんな感じです。そして、遂には感情的な言動をあらわにするようになります。関連する掲示板を見てみればわかりますが⋯そもそも、思念体の会話自動化も所持者の語彙力が大きく作用しております。所持者の言葉が貧弱だと思念体の力も弱くなるような気がします。会話自動化訓練は言霊のデータベース構築作業みたいなもんですからね。思念体の育成が上手く行かない人⋯大抵、言葉が貧弱な人でそれが思念体に投影されているだけな気もしなくありません。これが絶対とは言いませんけど⋯中高生で上手に思念体が作れている子、仲の良いイマジナリーフレンドを所持している子は、大人顔負けの文章を書く傾向に見受けられます。その様子を鑑みれば、言語力と会話自動化は一定の相関関係にあるように思えます。
言葉の力で主観を表現し続けろ
対して、いい歳した三十路のメンヘラはどうか?これ本当に三十代かよって思う文章しか書けません。この世界⋯もう、そんな手合がゴロゴロいますね。完全に自分の主観で閉じられてしまい、まともな意思疎通は不可能です。言葉で上手く外部に表現できる術を持ち合わせていないので、イライラがさらに蓄積されて行く感じでしょうね。まさに負のスパイラルです。主観が通常の五感の一部として機能し、現実のようなものとして感じられ、それが絶対化すると危険だ。たくさんの言葉を持ち、自分の主観を外部に向かって豊かに表現することができていたなら、そのようなことにならないだろう。ダイブ界をモチーフにした創作はそう言った意図もある。狭い世界をわざわざ自分の中に作りそこに閉じ籠っているのだから。遠からず現実の人間関係、社会生活にも影響が出て来るだろう。