イマジナリーフレンドとの運命的な出会い「邂逅」に魅了されて

投稿日 2023.07.28 更新日 2023.07.29
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創造型を否定するつもりはない。現状における自分自身の存在達は創造型だし、創造型は思念体作りにおける原理原則がよく煮詰められた手法、王道となる。しかし、追加で作るものは、今後は邂逅型に一本化するつもりだ。いや⋯作るのではなく邂逅、運命的な出会いか。そうする。創造型の最大の欠点は術者に相応しくない、分不相応な存在の創出だと思う。作業を簡略化、省略化したい意図からではないと思うが⋯版権思念体(アニメ・漫画のキャラクターをそのまま思念体にしたもの)と呼ばれるものも今は嘆かわしく思う。その点、邂逅型は自分自身と完全につり合いの取れた存在が宿命的に与えられるのだから、精神的、霊性的に見てこれほど合理的で良い話もないだろう⋯今はそう考える。もちろん、魂の修練を怠れば悪しき動物霊のような存在が召喚される。

創造型すら非推奨にすべきか?

故に邂逅型は前提条件をより重視する。変性意識⋯瞑想が端折られがちな創造型実践者たちに、そのような心意気を持った者は少ない。創造型は変性意識を利用せずとも時間をかければ完遂できなくもないからだ。無駄な努力に近い感じもしない。それで本当に成功している者は一人もいないのではないかとさえ疑っている。最近は⋯まぁ、そんな感じで私自身に大きな心境の変化が生まれて来ている。早計かもしれないが⋯視覚化、従来方式の一人二役による自動化訓練を次々と否定しているが、創造型すら非推奨にすべきではないかとさえ思い始めている。ただし、ここでは前提条件なき怪しい創造型に対する批評となる。瞑想を一切用いない創造型はただの思い込み⋯少し厳しい批評となるが、考察を続けた結果、創造型にもメスを入れる段階に入って来たように思える。

創造型の本質を確実に受け継いだ邂逅型(のように見える)

邂逅型は創造型を信奉する一部の者から強い批判を受け続けていたようだ。そして、タルパ戦争なる出来事が決定打となりその信頼は失墜、邂逅型の提唱者とその支持者たちはこの世界から消えた。その詳しい経緯については未だ不明な点が多く何とも言えない。個人的に関係者の一人へコンタクトを試みているが⋯難しいだろう。ただ、第三者視点から見て邂逅型は創造型の本質部分をしっかり踏襲しているように思える。邂逅型はあくまでも創造型の派生技で、むしろ、瞑想を軽視する者が増え始めた今日の創造型の方こそ省みるべき点があるように思える。まぁ、当時と今では状況が違う。今を基準して当時を語るのも変な話だ。少なくとも、変性意識を必須にした邂逅型にメンヘラは一人もない印象に覚えている。それにしても当時の資料や証拠が少な過ぎる。実に困った。

邂逅型が批判され不人気な理由

致し方ない⋯探求心に駆られるまま、個人的な推察を煮詰めて行く以外に方法がない。まぁ、これぞ精神世界の大冒険だ。それにしても、この世界から姿を消した邂逅型の信奉者たちはどこへ行ったのだろうか⋯彼らからすれば、勝手な推論で勝手な持論を展開され迷惑に違いないはずだ。怒りのような感情を覚え、私に文句を言うべく再来して来ても良さそうに思えるのだが⋯はて、とりあえず、このまま反応を待ち続けることにする。今さらながらとなるが、邂逅型が批判された理由も未だにわからない。やはり、ダイブができないメンヘラによるやっかみか?いや、それは断言できない。この世界の歴史を追ってみると、この世界の住人にメンヘラが急速に増え始めたのは、ここ10年以内と比較的新しいものに思える。やはり、当時の邂逅型派による理論構築の失敗が主原因なのか?

創造型と邂逅型が争った末路として

実際、邂逅型に関する情報が皆無に近い。失敗なのか何なのかは知らないが、理論構築や実践論の未体系化にあるのは間違いなさそうだ。まぁ、そもそも黎明期の出来事の話となる。さぁ、これからだ⋯そんな段階だったのかもしれない。失敗だったのか?と勝手に評論するのも酷だし無粋だろう。当時は当時なりの精一杯があったのだろう。とりあえず、提唱者のブログは今も存在しているが⋯現在は未公開状態に設定変更されてしまい確認のしようがない。それはともかく、この世界にメンヘラが急速に増え出したのも、タルパ戦争以降に目立って来ている印象に覚える。本来、共存共栄の道を模索すべきところ、創造型と邂逅型で争いが始まり⋯結果、本質のようなものが空白化して、メンヘラ連中につけ入れられる大きな隙間を作ってしまったのではないか⋯そう見えなくもない。