人類と思念体の歴史について
人類の歴史は宗教と共にあった⋯これは決して過言ではありません。神と認識された特定人物のイマジナリーフレンドを発端に信仰が生まれ、そして、信仰から人工精霊やタルパみたいなものとしての神へ昇華して行きました。神も信じると言う点において人工精霊やタルパと似通っています。自動化や視覚化がされていないだけで、神も多くの人々の意思により生み出されている「思念体」だと言えます。ちなみに、これと似たようなものとして、UFOもそれを信じる人々の意思により生み出されている思念体と推定されます。思念体とUFOの関係性については別の機会に改めて詳しく述べたいと思います。話を元に戻しまして、この世のすべての思念体をイマジナリーフレンドへ再び回帰させてしまうことで、いろいろ七面倒くさい問題がいっぺんに解決できそうです。
所詮はイマジナリーフレンドを持ち得なかった人の代替
最近は、人工精霊やタルパはイマジナリーフレンドへ包括して、イマジナリーフレンドが思念体と同義レベルに認知されるようになれば良いなと感じます。人工精霊やタルパは、所詮はイマジナリーフレンドの代替的なものです。オカルトに関する知見や経験もない、チベットで修行したことのない者が、それらの真似事をして成功できる訳がありません。多くは成功しているものと思い込んでいるだけかと思われます。科学派も科学と呼べるレベルのものでないのが実情です。いずれにしても、前提条件があやふやで、どうして今の存在が作れたのか?出会えたのか?自分の身に起きている話なのに、それを具体的に説明できない人が多過ぎます。もう少し、自分と存在していると信じている相棒を冷静に見つめ、イマジナリーフレンドとして再認識した方が良いと思います。
原点からの再出発・再生が必要
少なくとも、現状における人工精霊・タルパの世界は⋯傍目から見ていると、いろいろ無理をされている方が多いな⋯そんな印象です。自動化だの視覚化だの無駄に頑張り過ぎです。どうしてもっと自分らしく楽しくやろうとしないのか謎です。他人の意見に振り回され右往左往している人、学術論文や考察を理解したつもりでいる人⋯いろいろです。ここは原点に立ち返り、自分の心を見つめ直すべきでしょう。そう言った意味からも空想世界を作り、そこでイマジナリーフレンドを作りましょうと提案している次第です。既存の人工精霊やタルパのやり方を選ぶなら、まずは、オカルトや心理学をしっかり学んでから挑戦すべきです。そもそも、これらはオカルト世界の最高峰に位置するメソッドであり、前提となる知識や基礎訓練なしで実現できるものではありません。
イマジナリーフレンドは「強い」存在
その点、イマジナリーフレンドは難解な自然哲学や高等な降霊術まで学ぶ必要はありません。空想遊びの感覚で楽しみながら実践するものなので、飽きずに長く続けられるものになることでしょう。やればやるほど深みや愛着も増し、やめられなくなると思います。存在のデザインや設定も細かく考える必要はありません。シチュエーションや経緯のようなものを重視します。自動化も視覚化もすべて自然の流れに任せ、あまりゴチャゴチャ考えずやって行きましょう。人工精霊やタルパの作成が上手く行かない人は、それをそのままイマジナリーフレンドへ転用すれば良いと思います。しかし、イマジナリーフレンドは決して人工精霊やタルパの弱い版、簡易版的なものではありません。深層心理に迫り、術者の潜在能力をフルに発揮させる方向性となります。だから、むしろ強いです。
人工精霊・タルパとの相違点
ただ、誤解が生じないように付け加えておきます。人工精霊やタルパがイマジナリーフレンドより弱いと言う訳ではありません。強力と言えば強力です。ただし、コントロールが非常に難しく⋯とても重要な点になるので何度も書き加えておきますが、人工精霊は西洋魔術に端を発した降霊術の一種であり、タルパはチベット密教で修行を極めた者だけが許された秘奥義です。オカルトや宗教に関する知見のない者に実現できる訳がありません。前者は富と栄誉を、後者は神の境地が約束されたメソッドです。それに比べたらイマジナリーフレンドなんか、毎日をただ楽しく過ごすためだけの心のお遊戯です。比較する次元が違います。古の叡智と歴史を謙虚に学ぶ姿勢がないならやめましょう。だからと言って、イマジナリーフレンドを安易に勧めるつもりもありません。