視覚化に頼らないタルパ作り

世にはアファンタジアと呼ばれる心的特性を持つ人がいる。最近になってタルパ界隈でも見聞きするようになったが⋯視覚的イメージを自発的に想起できないものらしい。日本語では⋯なんだかちょっと抵抗感を覚える語感と字面をした言葉となるが「心盲」と呼ばれているらしい。子供の頃から空想好きな自分としてはにわかに信じがたいものとなるが、人口の数パーセントであるが一定数の割合でそうした人がいるらしい。まぁ、アファンタジアでないにしろ⋯物事を視覚的に捉えたり、考えることが苦手な人まで含めれば、相当な割合になると思う。ただ、正直なところ⋯そういう人がタルパに関心を持つきっかけ、接点が何であるのか不思議だ。とりま、視覚化に頼らないタルパ作りについて語りたい。これまでの考察でも触れて来た通り⋯視覚化はタルパの本質ではない
タルパの本質は自動化
重要な点になるので何度も書き述べておくが⋯タルパの本質は自動化にある。極端な話、姿なんてなくてもいい。声さえ聞こえ、意思疎通が図れれば十分。言うなれば音声だけの自動化と言ったところだろう。これなら視覚的イメージの自発的想起が難しい人でもできるだろう。人工精霊の作り方「運の光」でも述べていたが⋯別に美少女やイケメンのタルパ、犬猫などの可愛らしい小動物のタルパなんか作れなくてもいい。どんなに素晴らしい容姿、視覚的イメージをしたものでも、タルパ実践の本懐を成し遂げることができなければ意味がない。アファンタジアの人がこの手のメソッドに関心を持つきっかけが何でのあるのか⋯逆に疑問として思うが、アファンタジアだからと言って無理に視覚化する必要はない。音声の自動化だけで十分だし、それで幸福を追求することは可能だ。
挿入型タルパや偶像崇拝的な行為を実践したら?
やはり、存在性が実感できないと、音声の自動化すら難しい⋯そう言うのであれば、それこそ挿入型タルパを実践すれば良いのではなかろうか。人形やぬいぐるみと意思疎通すると言うと⋯傍目からあぶない人に思えるが、書く言う自分は非生物的な立体物と意思疎通を図る努力?みたいなものを日常的に楽しんでいたりする。自宅近くのお地蔵様の前を通る度、必ず、心の中で挨拶したり対話を試みている。もちろん、いちいち声に出してそんなことはしないが⋯いや、たまに出している。でも、特別おかしなことか?亡くなったおふくろは日本人形やぬいぐるみ類をそんな感じで愛でて大切にしていたし、わりと多くの人が普通にしている行為だと思う。挿入型タルパは密かにそれを高度化させたものになると言えるだろう。偶像崇拝の一種だと思えば抵抗感や恥ずかしさも覚えないだろう。
敬虔なキリスト教徒と差して変わらない
もちろん、立体物でなくても構わないだろう。挿入型タルパはタペストリーや絵画でも構わない。オカルトの世界には「画霊」と呼ばれる概念もある。版権の挿入型タルパが作りたいのであれば、好きなアニメのキャラクターが描かれたタペストリーでも壁に飾って、そいつに向かって意思疎通、自動化の訓練を試みれば良いだろう。みんな、視覚化にこだわり過ぎ、タルパは現代に蘇ったアニミズム信仰みたいなものだ。それに⋯敬虔なキリスト教徒は自宅に十字架やマリア像を飾って、それに向かって祈りを捧げたり、手を合わせ心の声を投げかけたりしているものだ。そうしたタルパの実践は特別おかしなものではないし、むしろ、視覚化とか言う方が世間一般的にはおかしな話なのだ。幻視なんてホンマおそろしいわ。だから、精神疾患の区別化を図る意図でダイブを強く推奨している。
自動化は言語的である必要はない
タルパ界隈の誰と誰とは言わんが⋯発想や着眼点を変えてみろ。タルパは応用だよ応用。もっと、柔軟な姿勢で楽しめ。視覚化ができたからと言って偉くもなんともない。タルパ実践の本質、本懐は自動化だ。また、自動化と言っても言語的である必要はない。直感でも構わないしオカルト的はそれが本来的なもんじゃないか?SNSでタルパ専用アカウントでタルパになりきって、何かを饒舌に延々と語っているような人なんか⋯見ていて寒いわ。もちろん、すべてのケースは否定しない。何度も言うが代筆であったり、心象表現としてのものなら構わないと思うし、自分も無粋が過ぎた野暮な人間だと自覚はしている。ただ、責任は会話ログを否定し続けた惚気アンチにあるので、文句はそちらの方に言って欲しいわ。とりま、自分を信じてインスピレーションを駆使しろ。
タルパ実践にオカルトグッズはいらない
初心者や後発の人に対して⋯変な先入観を植え付けさせないためにも、勝手な思い込みによる実践をしていないか省みよう。視覚化は絶対に実現しなければならない技法ではないし、自動化も言語に限定されない。偶像崇拝的な挿入型タルパの実践は、むしろ、常識的な範疇の行為だと思うし、やっていることは敬虔な仏教徒やキリスト教徒と変わらない。得意気に視覚化だとか言っちゃってるような人が本来的に変な人達なのだ。正直、初心者にはそうした実践法を推奨して行きたい。現実と空間の完全に隔離して、タルパと必要に応じた精神的に健全な実践法の一つだと言えよう。ダイブよりもさらに安全だと思う。当然、偶像物はそのまま依り代にもなるので良いだろう。パワーストーン等の高額なオカルトグッズに心酔し過ぎている人を見ていると⋯運の光は間違いだったと残念に思う。
一般的な方法でタルパの存在性を強化しよう
是が非でも美少女やイケメンのタルパを作り出し、視覚化はおろか触覚化まで実現して⋯(放送規制音)⋯なことまでしたい!!と言う人は落ち着け。世にはテレフォン⋯(放送規制音)⋯なんてものがある。とりま、声だけで昇天しろ。お前は美少女やイケメンと⋯(放送規制音)⋯している。お前は⋯(放送規制音)⋯それで捨てたんだ。すまん、アドセンス広告を張り付けている関係上、この観点はお笑いとギャグで済ませてくれ。それにしても、ラジオドラマを視聴したり、オーディオブックを楽しんでいれば、ある程度、視覚的イメージの鍛錬はできると思う。絵も描けないことはないだろうし⋯おかしな訓練に挑戦するよりは、絵を描くことを楽しみながら、タルパの存在性を強めて行く方が良いと思う。それに上手い下手は関係ない。大切なのは気持ちだ。
無理な自動化も禁物
ただ、あまりにも壊滅的な画力で絵を描き続けると、それそのものがタルパのイメージとして定着する恐れがあるので⋯気になる人はやめた方がいいかもしれない。今は画像生成AIもあるので、無理に絵を描くことは避けて、それらでタルパのイメージ表現に努めた方が良いかもしれない。とにかく、タルパ実践に無理は禁物です。視覚や言語にこだわる人は本当に多い。訓練法も数多く生み出されていますが⋯オカルトの世界には「霊臭」と言う概念もあります。匂いだけのタルパだってあっていい。守護霊なんてはっきり姿は見せませんし、何かを話しかけて来ることは稀です(あっても微かな声)。ほとんど直感的なものです。タルパは守護霊みたいなもんですから、タルパの言いたいことは全部非言語、直感、タロット等に頼ればいいでしょう。視覚化同様、無理な自動化も禁物。
霊体の形や概念はいろいろ
霊臭作りは⋯好きな香水やオーデコロンを使えばいいでしょう。ただし、仄かに香る程度を心がけましょう。微量でお願いします。鼻をバカにしないよう注意しましょう。当然、触覚だけのタルパもありです。視覚的イメージが苦手でも他の語感でタルパの存在感を強めたりイメージする方法はあります。いっそ、透明人間のタルパを作ってみては?まぁ、これは半分冗談です。むやみやたらに五感を改変操作する行為はやめましょう。せいぜい、霊臭くらいまでに留めるのが正常範囲だと思います。上述して来た通り、挿入型や画霊としてのタルパもありますし、言霊だけのタルパなんてあっても良いと思います。霊体の形は本当に様々です。自分だけの呪文のようなものを作り、それを札として崇めていれば、立派な思念体になります。運子さんのようなブログの精霊さんだってありですわ。
タルパにすらこだわる必要はないかも
正直、日本のネットコミュニティにおけるタルパ実践像は⋯窮屈なものに感じていました。もっと自由な発想で楽しめないものか?思念体と言うと漠然とし過ぎて来るので、姿形も大切だが⋯目的を重視するナフラが本来的に求められるべきものではないかと考えています。姿形にこだわり過ぎるあまり、よくわからん訓練に時間を費やすより、自分の欲しいものを素直に求めた方が時間の無駄にもならんと思います。特に視覚化は本当に時間がかかる。会話ベースの自動化だって容易でない。タルパとイマジナリーフレンドはオカルト的には別々の出自、根拠とする概念ですが、心理学的にはまったく同じものです。そうなるとそれは一体なんなのか!?一時的に迷うことでしょうが、自分がどうしてそうしたものを欲しているのか省みると⋯どうでもいい話にも思えてきます。
複数の感覚や手法でタルパの存在性を維持する
思念体に関するあらゆる概念をアウフヘーベンしまくり、一つの真理へ集約して行こうと言うがカムラッドになります(と自分が勝手にそう思っている)。視覚化や自動化と言ったものもその対象にするつもりです。その一環でこうした記事を書いてみる気が起きました。あなたの欲するものを手に入れるため、タルパの姿が見える見ないは関係あるのか?まぁ、そりゃ視覚的イメージがあった方が楽しいかもしれませんけど、アファンタジアでなにしろ、ある日突然、イメージが捉えれなくなり困っている人をたまに見かけます。カムラッドを提唱した主もそうですね。とりま、元気でいてくれるとうれしいです。そうした悲劇をなくすためにも⋯視覚イメージがダメになっても、他の方法でタルパの存在性をカバーする冗長性のような仕組み、発想も整備して行く必要があると思います。