作りかけのタルパを後天性イマジナリーフレンドへ変える
タルパを作ろうと決心するも⋯自動化や視覚化が思うように進まず、もう何年も訓練を続けている人は多い。せいぜい、微オートが関の山であるのが実情だ。現在、カムラッドwikiでタルパの作り方に関する情報をまとめたページを作成しているが、あくまでも参考資料であり、その内容を踏まえてもらった上で、カムラッドへの転向を促して行きたいと考えている。別にタルパを推奨する意図はない。そして、私はある仮説も提唱したいのだ。ぶっちゃけ、冒頭で述べたような状態に陥っている人は、半ば訓練をあきらめているのだと思う。開き直って、タルパのイラストを描いたり、一人二役のなりきり訓練をそのままタルパとの日常生活にしてしまっている節があるようにも感じられる。それが暗黙の了解と化しているのが⋯現状におけるタルパ界隈の正体だろう。
本当は半ば訓練をあきらめているのではないか?
タルパはそう簡単に作れるものではない。あきらかに疑問に思うものは多い。そもそも、完成の基準が明確でないのが大きな問題だ。しかし、人間の内心を覗いて確認することはできないので、当人の主張を信じる以外に他ない。存在推定の原理である。そして、思念体の奇妙な二重性はここでも発揮される。この時、仮に相手がウソをついていたとしても、それを信じた側の心で形成され、騙した側は存在しないはずのタルパに苦しむことになるだろう。まぁ、この詳しい話は別の機会で改めて話そう。今は訓練の話だ。半ば訓練をあきらめつつも、イラストを描いたり、SNSでタルパになりきるなど、そこそこ楽しんでいる様子だ。実体がどうであれ、それらの行動原理、源泉となる心象は本物である。もはや、イマジナリーフレンド作成となんら変わらない行為だと言えるだろう。
なりきりでも原点となる心象世界は本物であるはずだ
恐らく、タルパとの楽しい日常を空想して遊んでいる状態に近いと思う。自動化や視覚化はされていないけど、現実世界をベースにした心象世界での試行錯誤になると言えるだろう。だったら、現実世界をベースにしたダイブ界を作り、そのまま、作りかけである今のタルパを、そのままイマジナリーフレンドとして育成して行けば済む話だろう。これに様々なシナリオのようなものを加えて行くことで、そのうち勝手に自動化が進んで行くだろう。この場合、意識の中での存在に限定した思念体となるが、思念体の本来の目的は視覚化ではない。思念体は運命の相棒として、人生を有意義なものに変えるためやるべきものである。意識の中でちゃんと自動化、生きた存在として成長させて行くだけで十分で、それ以上何かを求める必要はないと思う。視覚化なんてやめろ。
それってタルパである必要あります?
一向に成果の見えない訓練はやめるべきと考えるが⋯それがもはや形だけのものとなっているのであれば、尚更、カムラッドへの転向を推奨したい。タルパとしての体を成しておらず、完全にイマジナリーフレンドである。タルパにこだわる意味も必要もないし、人口的にはイマジナリーフレンド界隈の方が多く、心理学的な裏付けのある世界で、ノウハウ的な情報もたくさんある。別にカムラッド界隈に来いとは言わない。カムラッドを参考にしつつ、今後はイマジナリーフレンド界隈を主たる活動場所に変えれば済む話となる。イマジナリーフレンド界隈はタルパ界隈と違って優しい人も多い⋯惰性でもう何年も形だけのタルパーをやり続けるよりは、さっさと方針を変えて、実のある方法で本物の思念体、イマジナリーフレンドとして育成して行く方が良いと言えるだろう。
ガチで自動化の訓練に挑戦した者の見分け方
以上の話は、誰に迷惑をかける訳でもなく、楽しくやり続けている者に限られる。タルパを作ろうと挑戦しても⋯完全な自動化に至るのは10人1人の割合だと思われる。微オートや真面目に訓練に取り組んでいる者を含めても半数に至らない。しかし、このようなイマジナリーフレンド的な方向性に変わっている者も含めれば、半分以上は見込みが出て来る。後は本人たち次第となる。一方、それでもダメな者は残る。一人二役のなりきり訓練は必ず対話形式となり、占い界隈的に説明すると「架空の存在との思念伝達の応答訓練」である。自動化はまるで本物の人間と会話しているかのような域にまで至るが⋯タルパそのものが本物の人間のように長く発言し続けることは難しい。完オート状態であっても、実際のところは端的な話し方になるはずだ。冗長的なタルパは存在し得ない。