タルパによる憑依の実践理論
タルパ界隈の自称憑依や自称DIDにこだわり続けておりますが⋯これらの諸問題を徹底的に考察し続けることで、逆に思念体の本質も見えてきます。どこかの誰かさんが言っていた⋯議論された問題は無害化されるとは、そう言う意味だろう。だがしかし、それが一人何役もの脳内議論ではいけなかった。この件に関しては彼一人だけに責めを負わせるのは酷な気がしてきた。なので、今後もお笑いプリンスとして持ち上げ続けるつもりだ。ところで、解離性同一性障害を意図的に引き起こすのは不可能ですが⋯では、本物の憑依とは何か?さらに一歩踏み込んだ考察をしてみたいと思います。何度も言いますが、私は憑依は否定しておりません。それは本物の憑依なのか?と問い質しているだけです。何を根拠に憑依と称しているのか?と説明を求めているだけです。
やっぱり定義は大切
一人二役の訓練法をもっと仔細、根本的な解説に努めていたら、タルパの世界は今とまったく違ったものになっていたでしょう。そもそも、無意識化に対する認識、定義が不明瞭であったため、いつの間にか変性意識が忘れ去られ、なりきりゴッコ遊びのような一人二役が蔓延り始めました。無意識化とは何か?オカルト的でも科学的でも構いませんから⋯これを明確に説明できる人は本当に限られて来るだろう。正直、黎明期のタルパ界隈住人、古参タルパーですら説明できないだろう。だから、タルパ界隈が今日のような乱れっぷりに至ったのだ。定義と実践理論の体系化を怠って来た古参連中の責任は重いと言えるだろう。少なくとも自分はそうはなりたくないので、無害化に向けた考察は続けるつもりだ。そして次なる課題は⋯本物の憑依実践理論の確立となる。
ならば本物の憑依とは何か?
批判や否定ばかりでもつまらないだろう。本物の憑依とは何か?今後はその方向性で考察を続けて行きたい。以前「タルパ界隈的に容認される正しい憑依」と題した実証実験的な考察記事を書いたと思う。あくまでもこんな感じだろう的なものだ。タルパとの人格交代を模擬的に試みたものだ。しかし、極めて短時間でしか実現し得ない不安定なものだし、人によっては完オート済みでないと難しいだろう。本当にあくまでも模擬的な体感実験で一時的なものに過ぎない、恒久的なメソッドとして転用して行くにはいくつもの改良が必要になって来る。また、タルパ作りを志した者なら、誰に対しても挑戦できる実践論を整備しておかねばならない。課題は多い⋯ただ、同時のこんな疑問も出て来るだろう。何のために憑依をするのか?である。先にこれを説明した方が良いかもしれない。
そもそも何のために憑依をしたいのか?
タルパは所持者から分離独立した存在です。対話が原則であり憑依は本来的にタルパの原理から外れるものです。しかし、思念体と言う大きな括りで見たら⋯オカルト寄りな見解となりますが、霊も思念体の一種ですから、憑依はあっても不自然でありません。霊媒師やイタコがそうですよね。そもそも、今日のネットにおけるタルパは降霊術みたいなものです。実際、中高生の若い子は、コックリさんを楽しむような感覚で挑戦しています。まぁ、その憑依は本物か?根拠は何だ!と言った野暮な話はひとまず横に置いといて⋯何のために憑依をしたいのか?に焦点を当てた話をしたいと思います。まず、代弁にあると言えます。心理学的には代理ですかね。通常はもう一人の自分をイメージして何かを主張する感じなります。変わり身のように扱い精神的な負担を分散させる感じです。
メタ認知を発動させて弁論能力のアップを試みたいのか?
代理の心理は良い意味では究極のストレス耐性術、悪い意味では責任を肩代わりさせて後は知らん顔です。図太い神経の持ち主がそうかも⋯タルパ界隈の某考察家は、健常と病理はグラデーションと主張しておりましたが、そう言う意味ではあながち間違いではないと思います。余談はここまでにして⋯では、タルパによる代理はどうなのか?タルパの場合、単にタルパに押し付けて何かを言わせるのでなく、タルパ特性(分離独立した存在)を活かし、承認と訂正の機能、役割を果たさせる感じになると思います。所持者がタルパを意識することで自身の思考をメタ認知、客観的に見直せるのかもしれません。もちろん、代筆でも似たような作用は働きますが、その場合、私がよくABC子からツッコミを入れられるように⋯多くは所持者の事後の行動に対するものとなります。次回へ続く⋯