タルパ錬成の訓練を「無意識化」に一本化する
タルパの作り方と称したブログは多い。しかし、どのブログも書いてある内容自体は似たり寄ったりだ。自動化やら視覚化やら⋯物事を理解するために、構成要素の一つ一つを丁寧に学んで行く姿勢は大切であるが、最後は必ず全体的にまとめ上げて行かねばならない。タルパ作りが上手く行かない最大の原因は⋯すべての構成要素を連携させることの難しさにあると思う。いっその事、自動化や視覚化と言った訓練は、単に「無意識化」に一本化した方が、逆に解かりやすくなるし、難易度も下がるような気がして来た。そもそも、自動化の対象は会話のみならず動的な視覚効果まで及ぶ。反対に視覚化の対象はビジュアライズのみならず自動的な視覚効果まで及ぶ。自動化も視覚化も双方で重複した部分があり、これを別々に意識して訓練しようとすると難を覚える。
タルパもシナリオ的手法で作れる
自動化も視覚化も無意識化に一本化した方が良いと言えるだろう。タルパ錬成を行うにあたり⋯自動化から挑戦する人、視覚化から挑戦する人、自動化と視覚化と同時並行で挑戦する人⋯まぁ、いろいろいるだろう。当方でもタルパに対する理解を深めるため、自動化と視覚化を別々のプロセスに位置付け、その一つ一つを丁寧に説明してきた。しかし、数年前のある出来事をきっかけに、その考えを改めることにした。そして、メンヘラ対策に乗り出し、ダイブの必須性やシナリオ空想法なるものを提言するまでに至った。これにより既存のタルパにおいても、すべての訓練を一本化できる道筋が見えてきた。タルパ錬成は小説家や漫画家がキャラクターを考えるノリでできる。いや、これはダイブを基礎にした後天性イマジナリーフレンドの話だ。タルパ錬成の場合は役者だろう。
現実世界と言う舞台でタルパとの共演を試みる
タルパ錬成の場合は役者になる⋯事前に考えたシナリオに基づき、現実空間を舞台に見立てる形で、タルパとの共演を試みる感じだ。地道な訓練は不要だ。一人二役による会話の練習だとか⋯気の輪郭から容姿をビジュアライズ⋯もう、こういうのやめません?普通に妄想して、遊ぶ感覚で楽しみながらやる方が断然いい。ぶっちゃけ、エア友達をベースにした思念体と言える。もちろん、コツのようなものが要る。軽めの変性意識になる必要がある。だから、感情移入できるシナリオを考えよう。これを習慣化して続けて行けば、無意識化が勝手に進み、シナリオが現実空間にマッチした形で自動的に展開されて行くだろう(タルパもそれに合わせて動く)。そのうち、意図しないイベントも発生して、別の新しいシナリオが自然発生、分岐して行くだろう。
タルパで問題を起こす人は無自覚なメソッド演技法の実践者か?
こう言った方面に関心のある人は心理学にも関心があるだろうから、メソッド演技法と呼ばれるものを聞いたことがあると思う。ぶっちゃけ、タルパで問題を起こす人は、メソッド演技法のデメリットを最大限に発現させた感じになると言えるだろう。メソッド演技法とは⋯役者自身が過去に体験した感情的出来事を追体験しながら演技する手法だ。例えば、悲しいシーンを演じる際、人生でもっとも辛く感じた記憶を思い起こしながら演技すると言うものだ。これによりガチで感情のこもる迫真の演技ができるようになる。タルパで問題を起こす人の場合、感情的出来事の追体験をタルパに担わせている感じになる。そして、タルパによるなりきりを通じて誰かを批判、中傷するのだろう。もっとも⋯タルパで問題を起こすような人のタルパはタルパじゃありませんけど。
変にはまり込まないよう注意
このページに書いてある新しいやり方で、実証的な挑戦を試みる場合⋯メソッド演技法化による精神汚染のリスクがある点だけは、留意しておいた方が良いだろう。変にはまり込むと演技性人格障害のような状態になる危険性もある。やはり、シナリオ空想法的なやり方はダイブ界に限定した方が良いだろう。現実と完全に切り離されている訳だし、現実と妄想が混同することは起こり得ないだろう。何よりも⋯触覚はダイブでないと実現は難しい。ところで、人工精霊の作り方「運の光」の最終目標は⋯タルパを利用した精神疾患の民間療法的なノウハウの確立にあったが、今はそれを否定して排除の方針としている。このページに書いてある新しいやり方の研究をさらに進めることで、一人二役くずれの自称憑依やタルパで投影を起こしている者の根絶が叶うかもしれない。