タルパもイマジナリーフレンドのように消えるのか?
タルパは一度でも成功したら二度と消すことはできない⋯しかし、タルパ界隈は10~20代の若者を中心に構成されており、20代後半から徐々に減って行き、中年以降の人はほとんど見かけなくなる。これは一体どういうことか?現実での生活が忙しくなり、単に表立った活動をしなくなっただけか?30代以降で活動している者は⋯魔術師や占い師などのプロのオカルト屋か、頭がどうかしているメンヘラのどちらかである。後者は早く病院へ行って欲しい。気になる一般層であるが⋯忘れるように消えてしまったと言う人が結構いる様子だ。実際、そのような発言をしている人を何人か見かけた。いずれも30代以降と思しき人物だった。見方を変えてみると、生まれつきのイマジナリーフレンドが、学童期に入ると消えてしまう構図と似ていなくもない。
イマジナリーフレンドが消える原因との関係
幼児の意識世界は浅い⋯成長に従い脳が発達して、意識世界に深みが増して来ると、先天的なイマジナリーフレンドは意識世界の中に埋もれて消えてしまうのだろう。稀に消失を逃れるイマジナリーフレンドは、イマジナリーフレンドを現実の人間と違う存在と早くから認識できたことによる影響だと考える。イマジナリーフレンドを消失させてしまった元所持者の多くは、大人になってからイマジナリーフレンドがいたことを自覚している。一方、大人の意識世界は固まっている。タルパは変性意識状態でしっかりと訓練しないと、意識の浅い部分でしか留まれないので、それを放置していれば、思考や感情による浸食を受けて消えてしまう。浅い意識領域での精神的産物であるため、理屈の上では幼少期の浅い意識世界を、大人の意識世界の表面近くで再現していたとも考えられる。
消えたタルパの正体は何なのか?
先天性イマジナリーフレンドが意識の底へ埋もれてしまうのに対して、タルパの忘却は意識の表面で削れしまうと言ったところだろうか。もっとも、これまで何度も主張している通り、時間の経過と共に消失してしまうようなタルパはタルパとは言わない。変性意識によらない訓練をしていた証拠とも言え、自動化はおろか視覚化なんて実現していなかっただろう。しかし、人間が想い考える行為で想起した存在は思念体になり得る可能性はある。あえて広い意味で思念体と分類するなら、簡易的なイマジナリーフレンドのようなものだったと言えよう。思念体の世界におけるそうしたタルパの原理原則と反する不可解なものは、思春期特有の心理状態が影響して起きるムーブのようなもの⋯イマジナリーフレンド症候群だと言えるだろう(以前、自称と前置いて酷評したが)。
消失を免れたイマジナリーフレンドとタルパの比較
上でも述べた通り、生まれつきのイマジナリーフレンドを早いうちからそうであると自覚できた場合⋯先天的なイマジナリーフレンドの多くは学童期、どんなに遅くても高学年あたりで消失する。しかし、子供は第二次性徴期を迎えるまでは大きな発育途上である。それには意識状態も強く関係して来る。小学校に入れば人生初となるような様々な知識や経験が学べる。当然、意識世界の成長余地もまだまだ残れされている。自覚されたイマジナリーフレンドは、タルパを作る時のような自動化や視覚化の訓練をするまでもなく、深みを増して行く意識世界の中で、無意識の記憶情報として活性状態を保ち続けることで消失を免れるのだろう。消失を免れたイマジナリーフレンドで視覚化が保たれたものは、ある意味で天然タルパと言えなくもない気がする。
責任は変性意識を軽視した考察の歴史にある
タルパが消えてしまうのはイマジナリーフレンドの消失現象と同様、致し方ないことだと言えるだろう。これに対して直情的、感情的な態度を示すのは、タルパ界隈における諸問題を解決する上で何も役に立たないだろう。大切なのは前提条件がきちんと明示された再現性の高い訓練方法の整備に努めることだ。ここで言う前提条件とは、これまで何度も主張している通り、魔術や占術、心理学や催眠術と言った知識はもとより、いずれの系統においても変性意識状態を利用する点は必須だと言う話だ。私の身近でも、タルパが消えた出来事がきっかけで、心に大きな傷を負ってしまった子がいた⋯この子には何の責任もない。あるとすればそれに対する解決策を示すことができなかった⋯変性意識を軽視し始めたタルパ界隈の考察だ。タルパ消失に関して当事者を責めるのはやめよう。