タルパ界隈是正に向けた訓練の再定義
現在、思念体を専門とするフィクトセクシュアルの情報発信サイトを制作中だ⋯お盆までには完成させたい。タルパ界隈でこれまで起きた諸問題の数々を見ていると⋯いずれも、当事者らの歪んだ性認識が犯行動機と言える。神様タルパーにしても⋯タルパク問題(タルパの窃盗行為)にしても⋯惚気アンチにしても⋯満たされない性的欲求不満、あるいは、異性に対する強い怨みの念を感じ取ることができる。性欲を別の形で満たす者もいる。タルパ界隈の自称霊能者どもだろう。ありもしない霊能力を誇示することでエクスタシーでも得ているのだろうか⋯少なくとも、たくさんの怨みを買っているはずの私は呪い殺されていない。今もピンピンしている。そもそも、精神疾患にある者ばかりで、本来的にオカルトや心理学と無関係な出自にある連中ばかりだ。
変性意識を訓練の前提条件とすべき
思念体に関するきちんとした定義、訓練に関する情報が未整備であったばかりに、誰もが気軽に思念体所持者を名乗れる状況にしてしまったのがいけなかったのだ。思念体は主観的な存在であるが、人間の意識の働き方自体は皆同じである。それを実践化したものがダイブや幽体離脱、明晰夢などになるはずだ。実際、初期の頃のタルパ界隈はそうだった。そうなると⋯これらの技の共通項となる変性意識が、思念体実践における基本、ある種の一つの真理のようなものとして論じられていたはずだ。しかし、タルパ戦争以降に蔓延った、科学派を中心とした不真面目な素人考察の数々により、通常意識での無意味な訓練法が提唱され始め、思念体の世界がおかしな方向へ向かい始めたのだ。当然、そんなもんで思念体は作り出せない。変性意識はすっかり忘れ去られた。
素直にイマジナリーフレンドと定義できない理由はなんだ?
重要な点になるので何度も言っておくが⋯自動化や視覚化は無意識化の訓練であり、無意識化された記憶情報は深い意識世界、深層意識で作用するものだ。深層意識へアクセスするためには、必ず変性意識状態とならねばならない。この世界で瞑想が重視されるのはこれが理由だ。しかし、面倒くさいのか何なのかは知らないが、瞑想のめの字すら語らない者が多くを占めるようになった。気がつけば発生型と称する訓練不要な型まで提唱されるようになった。多くは内在性解離や双極性障害などの精神疾患にある者が称するものであり、本来的な意味としての思念体と呼べるのか疑問を感じざるを得ない。病理的幻覚症状やアルコールによる酩酊で見る幻覚までタルパにしたいのか?非常に嘆かわしい状況と言えるだろう。素直にイマジナリーフレンドと言えない理由は一体なんだ?
顕在意識での思考暴走に過ぎない発生型
幼児の意識世界は儚い⋯顕在意識と深層意識の領域、境界は曖昧だ。現実と空想の区別が付いていない。現実で空想したり、空想で現実を考えたりしている。故に想像した人物や動物が、現実に存在しているかのように感じることがあるのだろう。それがイマジナリーフレンドである。しかし、大人でも空想好きな人、常日頃から何かを想像、イメージして遊んでいる人は、顕在意識と深層意識の間を行ったり来たりしているような状態になる。実際、そう言う人は白昼夢を見やすい。だから、大人でも以上のような精神的気質、傾向にある人はイマジナリーフレンドを後天的に持ち得る可能性はあると思う。それが本来的な意味での発生型になる。そして、タルパを自動化させたように対話的である。ぶつぶつ独り言をつぶやく発生型は、顕在意識での思考暴走、病理的症状に過ぎない。
知性と感性、幸福追求を何よりも大切にしよう
良質な変性意識を得やすい体質にするためには、知性と感性を磨かなくてはいけない。だから、美術館へ行け!コンサートにでも行け!と勧めている。博物館でも動物園でも水族館でもプラネタリウムでもええわ。とにかく、常日頃から知性と感性を磨け。常日頃から感激を覚えろ。電車の中から自作自演のなりきりポスト、関連する掲示板へいらん投稿するヒマがあったなら、岩波文庫でも読んでいた方が自分自身のためになることに早く気づけ。そして、何よりも食べることは生きること、勇気や元気の源泉だ⋯喫茶店やレストランに入り、これから食するものを撮影してポストしてリア充アピールするのも良いだろう。思念体実践はスピリチュアル的には願望成就が目的なのだから、やっている本人が幸せそうでなくては説得力がない。適度なリア充アピールも前提条件にすべき。