思念体の派生型(誕生型・変遷型)を再考察する

投稿日 2024.02.15 更新日 2024.02.15
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思念体は原則として作り出すもの、または、ダイブや幽体離脱などを行うことで出会うものとなるため、思念体の「型」は創造型と邂逅型の二種類のみとなる。発生型は言わば現実空間での邂逅となるため、実質的に邂逅型と同じだと考える。ただし、発生メカニズムは違うものと思われる。邂逅型は変性意識状態で実現するものであるのに対して、発生型は通常意識状態でのものとなる。前者は持続的な夢見、後者は瞬間的な着想と言ったところだろう。以降、発生型は邂逅型に含むことを前提にした話をする。実は⋯創造型と邂逅型は明瞭に分けられるものではなく、設定条件の多い少ないの違いがあるだけに過ぎないのだ。その中間的なものが⋯求人票型と言えるのかもしれない。型は一つに集約できるものであり、創造的であるか邂逅的であるかに過ぎない。

考察の前に創造型と邂逅型のおさらい

そもそも、同じ創造型でも人によって設定条件は大きく違って来る。何をもって創造型と言い切れるのか疑問である。また、邂逅型も何がしかの条件を少し加えることで、自分の望む容姿や性格をしたものと出会えているでのあれば、創造型との境界はあいまいとなる。正直、邂逅型の所持者を見ていると、そう言う節があるのを否めない。純粋な邂逅は⋯本当にどんな存在と出会うのかわからないはずだ。いろいろな存在と数多く出会い、選ぶと言うやり方もあるのだろうか?邂逅型の発案者にして実践者である浮き草がいない以上、憶測で語る他ない。余談が過ぎたが⋯創造型や邂逅型以外にも、前回記事でも考察した誕生型がある。これ以外にも、過程のようなものを踏まえた変遷型もある。本稿ではこれまであまり深く掘り下げることのなかった誕生型と変遷型を考察してみたい。

誕生型はシナリオに基づく創作的創造に過ぎない

まず、誕生型であるが⋯前回記事で、生命倫理面の側面から戯言のようなものを書き綴った。ここでは技法として型について語る。結論から述べると、誕生型も創造型と邂逅型の間にあるものに過ぎないと考える。厳密にはシナリオに基づく創作的創造となる。ぶっちゃけ、求人票型もこれと同じと考える。求人票型が採用面接、募集と言う話なら、誕生型はんんんしてから結実して、お腹の中からポンと出す話になるだけに過ぎないと思う。誕生型をそこまで露骨にやるものは稀だろうか?Fセク的要素ゼロでただ何となく発生したような感じのものもあるだろう。まぁ、そんな話はともかく⋯それって、単にシチュエーションの違いがあるだけで、誕生型や求人票型などの派生的な型は、本質的にはどれも同じだと言える。そして、そのどれもが創造型と邂逅型の間にあるだけだろう。

変遷型は邂逅型(発生型)と同じでは?

んんんして結実させるまでは創造的、何が生まれ出て来るかわからない点は邂逅的とも言える。それを全体で見るとシナリオに基づく創作的創造と言えなくもない。誕生型も求人票型もあえて独立した型として定義する必要性はないと⋯今はそう思うに至っている。次に、変遷型であるが⋯多くの関連するサイトでは、イマジナリーフレンドなどタルパでないものをタルパに変えた型と説明しているが⋯その場合も、元がイマジナリーフレンドなのだから、普通に発生型と称するべきだと考える。そもそも、何をもってイマジナリーフレンドからタルパに変えることができた、そう称しているのか不明である。多くは単に自称しているだけだと思う。発生メカニズムが違うだけで同じ思念体である。イマジナリーフレンド以外の何がしかの思念体をタルパにしたなら邂逅型だろう。

イマジナリーフレンドを復活させた意味での変遷型

ところで、イマジナリーフレンドをタルパに変える理由って何だろう?別にイマジナリーフレンドのままで良いと思うし、イマジナリーフレンドはギフテッドであり天賦の才の証だ。わざわざ、頭おかしな人の多いタルパ界隈に身を投じるより、イマジナリーフレンド所持者としての立ち位置を確立して、思念体の世界で活動した方が有意義に思える。変遷型を提唱した人が誰なのか知らないし、悪く言うつもりは毛頭ないが⋯イマジナリーフレンドであってはいけない不都合な理由、他意があるように思えてならない。幼少期に存在していたイマジナリーフレンドを復活させた意味でなら、単にそれをモデルにして作り上げた普通の創造型な気がする。残酷な言い方となるが⋯幼少期にいたものと、変遷型と信じて復活させたものは、まったくの別もの、ただのコピーになると思う。