思念体をネットに直接参加させる意義について

投稿日 2023.12.11 更新日 2023.12.12
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人工精霊、タルパ、イマジナリーフレンド⋯最近はナフラにも興味を持ちつつある。まぁ、いずれにしても、これら思念体には奇妙な二重的特性のようなものがある。思念体の世界でよく見聞きする「不可視の存在」なる言葉が、それを最も端的に言い表している。関係者は何気なく日常的に使用しているが⋯よくよく冷静に考えてみると「見えないけど見える」や「存在しないけど存在する」と言っているようなものだ。また、主観と客観も相反する関係にある概念で、主観的な精神産物である思念体を、ネット上に露出させて客観化を試みる行為も同様だと言える。思念体とは⋯こうした矛盾や相反、対称や対義の上で成り立っているものだ。思念体に関する(所持者の)ありとあらゆる言動が矛盾していると言っても過言でなく、それを超越して行くのが本物だ。

矛盾を超越する方法は「憑依」にあった?

前回の記事で「思念体の二重性の考えに基づき⋯(中略)⋯存在の印象を与えるための心象表現」なら⋯ぶっちゃけ、なりきりでも問題ない可能性を匂わせる提言した。これを丁寧に説明し直すなら「存在しているのかいないのかよく分からんものの表現活動」なら⋯なりきりかもしれんが、同時にそうでないかもしれないと言う矛盾を抱え込むと話になる。しかし、これだけでは論理的な言葉遊びに過ぎず、納得のある説明にはならない。また、単になりきり行為そのものの前提条件の有無を示しているだけに過ぎず、議論の本質からかけ離れているようにも思われる。話を逸らしたりボカすのは、それこそ、詐欺師の常套手段である。そこで憑依だ。表現手段が憑依であるなら説得力が出て来る。思念体界隈的に容認される憑依の技を確立することができれば、すべて丸く収まるだろう。

思念体界隈的に容認されるものとは?

もちろん、オカルトの世界で実践されている本格的なものとは別物となる。具体的にやり方として二つある。自分の声で脳内音読してやる方法と、まったく脳内音読せずやる方法だ。前者は思念体から自身が制御を受けている状態に重点を置いたやり方で、差し支えがなければ声に出してやっても構わない。後者は思念体の意思と同期させる感じになる。いずれにしても、前提条件として軽めの変性意識状態になる必要があると言えるだろう。ヘミシンク音楽でも聴きながらやるもよし、それは各自で開発して欲しい。どこかの誰かさんが提唱していた⋯目を閉じて、思念体が体の中に入り込んで来て、自分の体内で思念体と頭や手の位置を一致させますゴニョゴニョなんていい加減な話はなしだ。また、ある種の自己暗示、自己催眠となるので、中途半端な心構えでやるのは禁物となる。

そもそも場所を選ばない憑依は完全ななりきり演技

このため、このような行為ができる場所はおのずと限定されて来る。自宅に限られて来るだろう。これは以前からも指摘している通り⋯投稿している時間帯からして、明らかに通勤通学、昼休み等の休憩時間であり、憑依と称して情報発信している様子は⋯見ていて痛い。駅構内や電車などの公共交通機関、学校や会社など、周りに多くの人がいる状態で、どうやって変性意識状態になれるのか疑問である。そう言う出鱈目な状況もなんとかしたいと思う。ちなみに、ひきこもりやニートの場合、煽るとすぐ感情的になって主人格が顕となるので論外。尚、専業主夫や家事手伝いの女性の方は、ちゃんと役割を果たして働いているのでこれに含まない。以上、当方がこれから唱えて行く憑依実践法も含め、現実世界での社会的耐性がないと実践は不可能だと考える。

自分の体で起きている事だと思うんだが⋯

これから具体的で詳しい実践方法を煮詰めて行く。実際に自分の体を使用した検証を行う必要もある。少し時間が必要だ。ところで⋯心霊会話の方でも触れた点になるが、私は別に憑依肯定派に転向した訳ではない。憑依に関しては今も強い疑念を持っている。これまでの私の主張に対して⋯憑依ダー憑依ダー言う者たちは、掲示板等ではしっかり罵詈雑言のようなものは浴びせて来るのに、具体的に技術的な説明をして来ない、反論に応じて来ない状況となっている。これに飽きれ、まぁ、私が代わりにやる試みとなる。なんで⋯科学派とか発生型支持者もそうであるが⋯こう、ダメなんだ?実際に自分自身の体で起きている現象なんだろう?自信があるのであれば説明できるはずである。結局、自分で自分のやっていることに確信が持てない、自分でもよくわかっていない証拠だろう。