他人の内心世界にいちいち感情的になる者を見て思うこと

投稿日 2023.11.23 更新日 2023.11.24
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前回の続きである。ドラマや映画など、現実世界のメディアを引き合いに出して述べたが⋯多くの人はそんなことくらい分かってるわ!と憤慨すると思う。果たして、自分は大丈夫と言い切れるのか⋯胸に手を当てて良く考えて欲しい。木村花さんの件はまだ記憶に新しいと思う。あれは創作ではなくドキュメンタリーでは?と思うだろうが⋯結局、台本があることが暴露されたし、あの手の番組であっても台本がない訳がない。また、画面に映るすべての人は、公人と私人を使い分けているのである。高校生くらいまでならまだしも、大人の都合や社会の仕組みを知り尽くした社会人であれば、そんなことくらい何となくわかるはずだ。まぁ、どのようなジャンルの番組であっても、テレビの言うことをいちいち真に受けて、騒ぎ叩ているような者はアホ以外の何者でもない。

活かされないタルパ戦争の教訓

内在性解離をこじらせてそうなっているのか何なのかは知らないが⋯思念体と称するものに対して、虐待を行っている者がいるらしい。そして、それを見て憤慨した者がヲチスレ等の掲示板に抗議の投稿をする⋯本当にバカバカしい連鎖反応である。単に精神状態が不安定なだけの者の行いを見て、それに怒りを覚える者もどうかしている。もちろん、現実的に何らかの被害が発生するものは別である。犯罪性が認められるなら然るべき公的機関へ通報すればいい。そうでないなら放置に限る。問題となる人物のつまらない内心の世界に関心を示したり、宣伝に手を貸す必要はない。これはタルパ戦争の考察、思念体の二重性でも述べた点だが⋯存在しないタルパが存在することになってしまう事象も起きえるのだ。つまり、掲示板で騒ぎ立てている者が思念体虐待の実行犯となり得る。

他人の心象を二次加工しているだけに過ぎない

そりゃない事柄をあると思い込めば、今度はその人の内心で既成化、再現されるので、それを掲示板でがなり立てれば⋯そのまま、その人が思念体虐待の実行犯となる。精神状態が不安定となり人型の幻覚と葛藤する症状は珍しいものではない。それを見て思念体虐待と感じるならそう感じた人の問題となり、その人の中での事実となる。この両者に直接的な関係性はなく別々の心象となる。前者はただの錯乱で思念体とまったく関係ないから、思念体虐待を行っているのは後者となる。例えば⋯八百屋の店先に置かれた美味しそうな赤いリンゴを「血塗られた呪いのリンゴだ!」と叫ぶ〇チガイがいたとしよう。これに腹を立てムキになり、Googleの口コミに「あの八百屋で売られているリンゴは血塗られた呪いのリンゴではありません」と投稿しているようなものだ。

もはや別件の事件の主犯となる

世の中にいろいろな人がいる⋯店をやっていれば、年に2~3人このような変人がやって来るものだ。店員も周囲の他の客もできるだけ目を合わせないようにしてスルーしてその場をやり過ごす。これに腹を立てるようなものは同類以外誰がいると思う?普通に考えればそうだし、Googleの口コミでそんな余計な書き込みをされる店も迷惑だろう。もはや、この時点で一番の問題児はGoogleの口コミに書き込みを行っている者となり主犯みたいなものとなる。その店の商店街も迷惑に感じるだろう。そんな風に界隈の外から問題を持ち込み、騒ぎを起こす者もいた。知っている人は知っているだろうが⋯二次創作・声優界隈で発生したメンバー間の対人トラブルが⋯どういう経緯でそうなったのか詳しくは知らないが、人工精霊・タルパ界隈で揉めに揉めることとなる事件も発生した。

自己責任の世界なのだから確信犯は救う必要なし

思念体の世界は⋯主観の世界であり、実践者それぞれの心のあり方次第となる技の世界となる。大人の言葉で厳しく言い換えるなら「自己責任」の世界で、他人に責任を求めるのは原理に反する。誰に頼まれて思念体を実践している訳ではないだろう。自分の意思で決めてやることだ。そうでないなら病理的幻覚症状と変わりない。いや、自分は違う!誤った実践方法を批判しているに過ぎない!と反論したくなるだろう。誤っているもの(=偽物の思念体)あることをきちんと認識しているのであれば、なおさら構う必要はないだろう。このサイトを見て⋯それならお前も同じだろう!とも言いたくなるだろうが、思念体に関する正しい情報発信を行う行為、啓蒙活動であり、感情任せで適当にやっているものではない。果たして⋯初心者があの書き込みを見てどう思うだろうか?