思念体の世界でよくありがちな批判姿勢

投稿日 2023.11.21 更新日 2023.11.21
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風刺と誹謗中傷は違う。風刺は社会における欠点を指摘、是正を促すもので、まさに誹謗中傷行為に対する皮肉となる。これをギャグ化してはいけない道理はない。批判や批評も同じだ。この場合、問題に対する明示性が強くなるため、しばしば、感情的な対立を生み出したり、受け捉え方によっては誹謗中傷と言われかねない。実に悩ましい。しかし、批判や批評は進化のために必要不可欠な行いとなる。同調圧力や不適切な迎合的感情に支配された世界に未来はない。そんな話はともかく⋯同じ批判でも感情移入したものに対する批判は注意を要する。大好きなものだからこそ、感情的になり現実感を欠いたものになりがちだ。傍目から見るとそれは理解不能であり、やっている本人は真剣であったとしても、周りからは頭のおかしな人と見られるのでやめよう。

現実と虚構の分別の付いた思考ロジックを持てよ

ドラマや映画などに登場して来る悪役に対して、嫌悪感を抱いたり憎悪の感情を持つのは、誰でも持ち得るごく自然な心理状態と言える。制作サイドもそれが目的であり、エンターテインメント性を高めるため、迫真に迫った演技を役者に求める。感情移入させられているのだ。悪く言ってしまうと洗脳。これは政治の世界でもよく用いられる。しかし、どういう訳か⋯悪役を演じている俳優や女優そのものにまで、批判的、批評的になる者が一定数いる。まさに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いである。こういう手合は現実生活がダメな連中と相場が決まっている。所詮、ストレスのはけ口に利用しているだけに過ぎない。現実的に自分が抱えている問題や課題を忘れさせてくれる都合の良いもの、心理学で言うところの投影の一種だと言える。実にバカバカしい限りである。

分別のついていない幼稚な感情的批判は本質を見誤るのでやめろ

まともな人なら、悪役を演じた俳優や女優の演技力を賞賛して褒めたたえる。きちんと分けて考えて批判、批評する。然るに人工精霊・タルパ界隈はどうか?例えば、思念体に対して粗雑な扱いをしている人がいるとする。最近はだいぶ沈静化、落ち着いて来てはいるが、ヲチスレなどの掲示板に⋯たちまち、その人に対する感情的な書き込みが殺到する。私はこれにはまったく理解できない。そもそも、思念体に対する虐待行為は本人の内在的投影であり、思念体と称するものも思念体ではなく、本人の人格の一部、分身のようなものと言える。偽物の思念体に感情移入させられているのだ。虐待行為を楽しむ目的で思念体を作り出すことはできない。最初はすっきりするかもしれないが、自分で自分を殴っているようなものだから、そのうちだんだん苦しくなって行く。

本物の思念体実践者であれば論理的批判に努める

虐待行為を目的とした思念体創造が不可能である件は、また別に機会に詳しく説明したいと思う。本物の人工精霊・タルパ実践者であれば、思念体の虐待行為と称するものが行われていても、タルパが可哀想とかタルパに対するイジメはやめろなどとは言わない。とりあえず、当人の心象に注目が行くはずだ。どうしてそのような行為を行っているのか?原因は何であるのか?と考える。特に科学派ともなれば心理分析に余念がなくなるだろう。まぁ、オカルト的には⋯悪霊や怨霊、質の悪い動物霊に取り憑かれているものと見ますけどね。私見となるが、思念体と称するものに対して虐待行為を行っている者は⋯蟲など皮膚に悪影響を与える動物霊に取り憑かれているものと見ている。SNSにアップされた写真を拝見すると⋯当人の皮膚や髪、爪がボロボロであることが多い。

それが単なる釣り行為だったらどうする?

もちろん、蟲がメインであり、他にもいろいろ取り憑かれていますけどね。これはあくまでもオカルト的な話。信じない人は信じなくて結構。ただし、精神医学的には自傷行為の一種となるので、一度、本気で専門的な医療機関に診て貰った方が良いだろう。たぶん、内在性解離の診断でも下されるんじゃない?また話が逸れてしまったが⋯こう言ったくだらないものに対して食らいついて批判している者もどうかしていると言える。こちらの場合、心因性神経症の診断でも下されるだろう。どっちもどっちなのだ。偽物は構わず放置に限る。そうやって指摘することで、結局はその人の宣伝に手を貸しているようなものだ。思念体と称するものを虐待している者の中には確信犯もいるだろう。また、人工精霊・タルパ界隈の純粋真っ直ぐバカが釣れたと喜んでいるかもしれない。