僕らはチベット密教を知らない
当サイトは、ダイブ(白昼明晰夢)を活用した後天性イマジナリーフレンドの作り方を主要なテーマとしておりますが、人工精霊やチベット密教の秘奥義として知られるタルパについても研究を進めております。思念体の世界からメンヘラ共を駆逐するには⋯どうやら、ダイブ研究だけは不十分と言わざるを得ません。人工精霊や西洋魔術を基盤に理論構築されたタルパは魔術師に任せるとして⋯タルパを本場チベットのものに限りなく近いものへ昇華させる研究も必要です。ダイブや催眠、魔術や占術をあきらめたメンヘラに一片の居場所も与えてはいけません。メンヘラが最後に雪崩れ込んで来そうな、最後に居座っている場所も無意味なものに変えてやります。それが前回記事でも紹介した新界隈創設です。正式名称も「カムラッド界隈」の方向で決まりそうです。
カムラッド思想/カムラーにかける思い
提案者が「想像上の仲間」を意識しての話かは定かではありませんが、英語の仲間(camrade)に由来するものと述べております。クールで神秘的な語感から来るものを覚え、私も迷わず賛成の意識を示しました。カムラッド界隈に属する者をタルパーにひっかけカムラーと呼びます。具体的な活動内容はこれから決められて行くものと思いますが、本物のタルパとは何かについて探求を続けて行く方向になりそうです。あと、ギャグ化も⋯いや、これはなんでもありません。私はカムラーの一人としてタルパを研究して、既存の人工精霊・タルパ界隈にたむろしているメンヘラ共の存在価値を相対的に押し下げてやろうと意気込んでおります。メンヘラ共の矛盾を徹底的に突いて論破してやります(それだけの観察記録とデータも収集済み)。私はこのために5年戦って来た。
メンヘラは煩悩そのものである
メンヘラは煩悩の塊みたいな存在です。それを潰すことは仏教的な観点からも理に適っております。自分自身に対する戒めでもあり、自己成長にも繫がる行為となります。ただし、宗教に名を借りた弾圧的な運動、扇動であってはなりません。バルカン人のように終始一貫、論理によるものでなくてはなりません。たまに「弄り」と称した遊戯で嗜むこともします。これは自らの心に余裕を生み出し、真理の探究をより効率的、前向きに行える精神的なゆとりが得られます。これこそがカムラーの姿になると言えるでしょう。そして、目指すべきものは⋯本場チベット密教のトゥルパです。もちろん、これまで述べて来た通り、密教の修行僧でないと正真正銘の本物のタルパは作り出せません。しかし、真理を求め続けている限り、それに近づくことは可能だと今は信じております。
人工精霊・タルパ界隈は未踏峰の山みたいな場所である
人工精霊・タルパ界隈では⋯積年にわたり、タルパの作り方について議論がなされておりますが⋯しかし、どの考察内容も似たり寄ったりで、満足したのか飽きたのか、視覚化あたりに差しかかるとその難易度も相まって、多くはそこで中途半端に筆を止めてしまう。新しい考察家が登場して来たかと思えば、結局はその繰り返しであって、新しい風が吹き込まれず、進歩や進展がまったく見られません。それどころか、精神疾患に迎合したり、魔術や催眠、イタコの知見がないにも関わらず憑依を語り出す「なりきり伝道師」まで登場して来る始末。挙句、みんなそれぞれでいいじゃないか!!とまで言われるようになり、まとまりがなくなりワケワカメな状態へ⋯そして、自分たちもその形の一つだ!!と、頭のおかしなメンヘラが乱入⋯もう、誰も頂点を極めてねぇ。
ならばリバースエンジニアリングの心意気で
人工精霊・タルパ界隈は⋯言わば、精神世界における未踏峰の山みたいな場所と言えるでしょう。もちろん、多様性と各々が持つ主観は大切です。別にいろいろあって良いと思います。しかし、頂上へ目指せるための全体的な方向性は必要だと考えます。少なくとも、メンヘラを紛れ込ませないための⋯これは以前、別の記事でも述べた「一神教的多神教」の価値観とも重なる考えになります。それはともかく⋯みんな「どうやって作る?」と純粋でまっさらな心で模索を開始するものですから、すぐに限界のようなものに突き当たるんだと思います。逆に「どうやって作られた?」と分析する考え方、リバースエンジニアリングによる逆算的な発想による考察はどうでしょうか?現在までそのような手法で考察はされておりません。今後、当サイトの主要課題の一つにしたいと思います。