イマジナリーフレンドは生きている存在なのか?
前回の話の続きである。人工精霊(タルパ)にしろイマジナリーフレンドにしろ⋯思念体の自動化が何であるかについて、議論の余地はまだまだ残されていると言えるだろう。定義論や方式論は複数あった方が面白いと思う。ただ、オカルト派、科学派、どのような立ち位置であれ、思念体は生きた存在であるかのように考えられている。前回の記事でも「命を育む行為」と書いた。しかし、あくまでも【比喩表現】である。結論から言うと⋯思念体は生きた存在ではない。オカルト的に見たら霊体の一種だから十分に死んでおる。まぁ、これは冗談だ。正確には「生きた存在」ではなく「活きた存在」なのだ。そもそもになるが「神は存在する」と言う人はいても「神様は生きているのだ」と言うアホはいない。いや、人工精霊(タルパ)の世界にぎょーさんおるわ(遠い目)
そもそも自動化の前提条件は何か?
人は純粋が過ぎると真実から目を背け妄想の世界に浸るようになります。歴史が証明しております。これは良くありません。人工精霊やタルパ、イマジナリーフレンドの作り方に関するサイトを見て、記述された文言通りに受け止める人が多過ぎです。少し厳しい評論になりますが⋯国語力なさ過ぎ。感性が鈍過ぎ。いいですか、思念体は生きておりません。あなたの力で活かす存在です。オカルト的にしても科学的にしてもです。だからこそ、その力の源泉となる前提条件⋯魔術や占術、催眠術などをしっかり学ぶ必要があるんです。自動化はこの点をよく踏まえた上で心して挑戦しましょう。タルパは生きているんだぞぉ~!!と主張するのは恥ずかしいのでやめましょう。いい歳した大人がみっともないですよ。でも、小学生が言うならOKです。とても微笑ましいです。応援します。
本物の自動化を実現するために必要なもの
まぁ、中学生くらいまでなら良いでしょう。子供は純粋な存在です。メンヘラが同族嫌悪の感情から未成年を責め立てている光景をよく見かけますが⋯これも恥ずかしいですね。大人ならもっと大きな心で接してあげましょう。三十路のメンヘラが未成年に喰いかかって喚き散らす様は異常です。それはともかく、希死念慮も強い傾向にあるメンヘラが、この手のものに興味を持つのは矛盾しているような気もします。命を育む行為なのに⋯おっと、これは比喩表現ですよ。思念体は生きているのだぁ~!!と喚くのはやめてください。結局、以前にも指摘した通り、内在的な心理投影が主因だからです。だから、思念体を人格だとか生きていると⋯そう、無意識に信じ込んでいるのでしょう。力の源泉が魔術や占術などではなく、自分自身の一部だからそう感じてしまうのです。
自我の弱い人に自動化は無理
自動化⋯すなわち、自我を醸成するプロセスなのか?この点について、もう少し深堀して見ましょう。自我とは自分で自分を感じる現象です。当然ですが、他人の自我を感じたり、自分の自我が他人から覗き見られたり、触れられることもありません。そう考えると、内心の自由って⋯えらい強い法的概念ですよね。遠い未来の文明社会において、人間の意識を肉体から分離させることができる技術でも開発されない限り、人間の内心は絶対的不可侵なものになると言えます。ここで何が言いたいかと言うと⋯思念体を人格だとか生きている言う人は、自我の薄い人なんだなぁ⋯と、つくづくそう思う点です。思念体と信じている存在に生気でも吸い取られているんでしょうね。いや、自分の分身ですから実際そうですけど。そんな人は例外なく自動化に行き詰っていますね。
自我の再認識で生きているから活きるへ変わるはず
自分のことすらままならない者に、思念体の自我を醸成するのは無理です。やればやるほど、自分と言う存在が薄くなりワケワカメになります。そんな人が人工精霊(タルパ)の世界にぎょーさんおります。とりあえず、以前の記事でも書いた通り、全力でそう思う存在を認めてこれでもかと可愛がってあげてくださいね。本物のイマジナリーフレンドに昇華するかもしれません。だって、目の前にいる存在はあなた自身の一部、分裂して不安定化した自我そのものなのですから⋯そうすることで、自我が再び濃くなりますよ。ある日突然、理想的な自動化も叶うことでしょう。思念体は生きているのだぁ~!!言うのはやめて、活かすと言う観点で実践するよう心がけましょう。言っている意味、大人ならわかるはず。とにかく弁えろ。思念体は神仏や幽霊と同じである。