イマジナリーフレンド・人工精霊(タルパ)の定義まとめ

投稿日 2023.03.19 更新日 2023.03.21
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イマジナリーフレンド、人工精霊、タルパ⋯これら思念体に関する定義は、スピリチュアリストによりだいぶ異なるが、こう言ったものは内心の世界の産物でもあるため、ある程度、個々の自由であっても構わないと思う。ただ、精神疾患による幻覚や妄想、中二病のなりきり演技は、様々な誤解と偏見を生み出す元凶となるので排除せねばならない。本物とこれら偽物を区別するため、あらためて、当サイトなりの定義をまとめたい。以前からの主張内容や過去記事と重複する部分はあると思うが、これは非常に大切なことであり、ネット上に正しい情報をあふれさせる目的からも、あえて定義論争を誘発させるような少しばかり過激な内容とする。タブーとされていることも躊躇いなく切り込む。まがい物に期待を持たせ、青少年の健全な育成を阻害する方が悪である。

人格と思念体はまったく違う

まず、人格と思念体をごっちゃに考えている者が多過ぎる。もちろん、思念体は所持者である人格を源泉とするが⋯思念体は人格から分離され、独立した意思を持つ存在となる。人格は自我と記憶の塊であり、思念体は人格の記憶から作り出すものである。思念体の自我に相当するものは思念体の中で別に育まれる。人格と思念体で共有されるものは、所持者の知識や経験などの意識情報に限定される。自我まで共有しているように感じられるのは、双極性障害や内在性解離などの精神疾患が疑われる。このため、本物の思念体であれば所持者と思念体が共感し合うことはあっても、感情まで同期するような現象は起きない。病理による幻覚や妄想が、憎悪の対象となったり、自分に都合の良い現実逃避的でお花畑なものになりやすいのは、自我が解離的な状態になっているからである。

人格の一部が思念体に変わることはあるのか?

幻覚や妄想で感じる人の姿、声は、自分自身のトラウマや過去の悪い記憶が擬人化されたようなものに過ぎません。すべて本人が抱える問題の象徴物であり自分自身の一部です。断じて、思念体などではありません。ただし、以前の記事でも指摘した通り、存在を自分自身の問題と認めたり、あるいは、愛情をもって肯定することで、感情が自分自身に還流されることで自己肯定感が高まり、症状の緩和につながるかもしれません。それにより存在も存在することが許されるようなものになるので、人格から分離されて本物の思念体、後天性のイマジナリーフレンドに変わる可能性はあると思います(消える可能性もあり)。希望がまったくない訳でもありませんが⋯自分の問題と真正面と向き合うことにもなるので、それに耐えきれず逆効果となるリスクがある点もご了承ください。

思念体はイマジナリーフレンドと人工精霊(タルパ)の二種類しかない

イマジナリーフレンドは意識世界の深い領域で発生するもの、人工精霊(タルパ)は意識世界の深い領域と連動しているものになる。イマジナリーフレンドと人工精霊(タルパ)は似て非なるもので、その習得過程と実践形態は異なる。また、タルパは本来チベット密教の僧侶が実践するもので、密教独特の閉鎖的な世界の精神的思想、ノウハウとなるため、日本国内におけるタルパに関する情報はすべて憶測に過ぎない。ネット上で知られるタルパは、事実上、西洋魔術の降霊術に由来する人工精霊そのものであり、単にそれから「依り代」の概念を省略したものに過ぎない。逆にタルパのつもりなのに依り代を設定する皮肉な状況も生まれている。イマジナリーフレンドの作り方と称した情報も出回っているが、魔術の名残があるものもあり、人工精霊と変わらない内容となっている。

思念体定義を不明瞭なまま実践しない

いずれにしても「変性意識」は必須の共通プロセスとなるため、各種の思念体が混在した状態の方は、白昼明晰夢(ダイブ)を訓練してイマジナリーフレンド所持者として再出発するか⋯魔術や催眠術を学び直し人工精霊術者(タルパー)として再出発するか⋯早々に選択、気持ちを整理すべきである。不可視の存在がイマジナリーフレンドなのかタルパなのか分からないでいる人をよく見かける。思念体と人格が共存していると称している人もかなり見かける。これらは不安定化の原因となるので明確に決めよう。まぁ、何にせよ自分の意思で決めてやるものなのだからすべて自己責任となる。自分以外の誰かや何かに原因や責任を求めてはいけない。精神疾患は精神疾患なのだからそれによるものは思念体ではないし、医者の言うことを黙って聞いて治療に専念すべきである。