タルパやイマジナリーフレンドで憑依を楽しむ意味
カカ、カポネ、カカ、カポネ、カッポ、カッポカポ、カカ、カポネ~お前の憑依コントはホンマに吉本やな。とりま、前回の続きだ。タルパやイマジナリーフレンドがいると、どうしてSNSなどで存在になりきり、様々な表現活動を試みたくなるのか?代理の心理をメタ認知に置き換えて、弁論能力の向上を試みている感じになるんだと思います。そうして、自分のことを持ち上げたり庇ってくれる弁の立つファンネル的な存在に仕立て上げるんだと思います。言うまでもないことですが⋯基本的にタルパの国語力は所持者に依存しており、所持者自身の国語力で限界となります。ただし、タルパがそれを越えられる可能性がない訳でもありません。タルパで所持者の国語力をメタ認知すれば、タルパで潜在的な国語能力を発揮できるようになるかもしれません。
憑依実践の真偽性は横においた上での話
私が言う代筆、会話形式だと、あまりメタ認知の作用は働きません。タルパの言動、タルパから直感的に感じた何かを⋯ただ、記録しているだけです。一方、憑依実践の真偽性はひとまず横においた上で、憑依の場合における自動化を述べると⋯良い意味で捉えるなら、そのタルパと言うキャラクター性、設定条件の範囲内と言う縛りは発生しますが、自分自身をある意味で第三者視点で見れる状況になるとも言えます。そうなると国語力のみならず、潜在的な様々な力を引き出せるようになるのかもしれません。ただ、ここで今の説明に強い違和感を覚えた人は多いことでしょう。憑依は基本的に交代現象であり、主人格は沈んで認識することはできないはず⋯でも、通常の自動化が、主人格の深層意識へのタルパの存在性の刷り込みと考えるなら、憑依はその逆と考えることもできます。
憑依の基礎理論を考える
もちろん、タルパの自我は所持者の深層意識の中に封じ込められていますが⋯さらに、タルパ自身の自我、意思のようなものも、仮想的に顕在意識と深層意識のような二層構造になっていると考えます。この場合における顕在意識は設定条件に沿ったタルパの思考領域、深層意識は当初の設計デザインや設定条件になかったタルパの挙動、想定外の反応的行動に繫がった原因となる記憶情報が集積されている領域と考えます。もしも、タルパの深層意識に相当する領域へ、所持者自身がダイブに近いような真似ができるようになれば⋯そのためには、以前「人間の精神的構造(観念・心象・思念)について」の記事で述べた通り、思念体を階層構造的に分析、考察して行き、因子のようなもの解明してそれに辿り着けるようになる必要があるだろう。研究に時間はまだまだかかりそうだ。
憑依のトリガーとなる因子を見出す
憑依とは少し話は違うが⋯所持者とタルパの自我は、所持者自身の深層意識の中でカテゴリー分けされたような状態と言えるだろう。そして、このカテゴリーの間、所持者とタルパの間で記憶情報を無意識に共有するため、タグのような因子があるだろうと考える。単にカテゴリー分け(設計デザイン)をすることで、タルパの存在性が形作られるものではなく、タグ(設定条件)により自動化を図り、コントロールしようと言うものになると考える。具体的には⋯国語力をはじめとする様々な学習要素としてのタルパの記憶情報は、所持者自身のものに依存せざるを得ない。タグで所持者の記憶情報と紐づけられることで、自動化が進んで行くものと考える。この詳しい仕組みについては別途改めて説明する予定だが⋯もしも、憑依のトリガーとなるタグが発見できれば面白いだろう。
タルパ錬成の思想に基づいた本物の憑依
タルパ錬成の思想に基づいた本物の憑依を実現するためには、一人二役の自動化訓練から⋯やはり、一度きちんと分離、完全に独立、自律した意思を持つ存在へ仕上げて行かねばならないと思う。まずはタルパと面と向かい対話できるようにする必要がある。今後、憑依の実現方法について考察、検証して行くが、とりま本稿で憑依を楽しむ意味をまとめると⋯新しい自分、可能性を見出したいに尽きると言えるだろう。それをタルパに託している感じになるんだと思います。憑依を良い意味で活用すれば、タルパに導かれるように所持者自身も大きく成長、進化を遂げて行くことでしょう。言うなれば、タルパ憑依術はタルパによる人生の先導、運命的な導きと言ったところでしょう。だがしかし、それが悪い方に作用しないとも限りません。第二次界隈大戦が勃発しないことを願います。