タルパ界隈におけるオカルト派と科学派の果てしなき議論

投稿日 2024.08.10 更新日 2024.08.10
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結論から述べると⋯住み分けしかない。しかし、科学派がオカルト派の実践論の一部に乗り合わせている以上、それは難しいだろう。科学派が独自の方法を研究、発見、開発、整備してもらわない以上、この熱い議論に終わりは見えて来ないだろう。計量経済学や数理統計学を研究する上で、占星術や風水術を用いて論じているようなものだ。世間一般的にそれを非科学的と言う。そんなもの占い師や風水師も困惑するだけだ。統計学の世界でやれば?としか言いようがない。タルパ界隈の科学派はオカルト派に直接関与せず、心理学の世界だけでやるべきと言えるだろう。チベット密教の秘奥義として知られるタルパ⋯これを心理学でどう再現するか?心理学の専門家や心理学を専攻している学生に問いかけてみればいい。たくさんのアイデアが集まるだろう。

オカルト派にも反省すべき点はある

それこそ心理学や催眠術、精神医学を総動員すればいい。私の方で提案している後天性イマジナリーフレンドの作り方もその一例となる。オカルト側の人間である自分が⋯件のアンケート結果により、科学派が既存訓練による成果が出しづらい、歴が短くなるのは傾向として確実に見て捉えることはできるようになったと思う。科学派がしっかりとした理論を構築していれば、オカルト派と同程度に並ぶのが本来の姿だと感じる。タロット占いの計量経済学や気学風水の数理統計学の研究なんて到底長続きするようには思えない。そんなもの行き詰るのは当たり前だ。ただ⋯その点においてオカルト派も猛省すべきだろう。比喩表現やものの例えとは言え、科学の知識や専門用語をオカルト派タルパ実践の理論に組み込んでいた点だ。私のような考察家が特にそうであったかもしれない。

現代科学の発端は何か?

今後は注意書きや前提条件、補足的な説明の充実化にも注意を払うようにしたいと思う。多くの誤解を与えていた恐れもある。それこそ⋯科学派の考察家が精神疾患に迎合していたように、オカルト派の自分が科学に迎合していたとも言えなくもない。そこは猛省すべき点だと詫びる。あくまでも思考実験のようなものを楽しみたかっただけだ。ただ⋯人類の歴史を紐解くと、現代の科学技術はすべてオカルトに端を発したものになる。例えば、医薬や化学は錬金術を発端に数百年の時を経て発展して来たものだ。それまで多くの犠牲もあっただろう。多量出血した傷病人に家畜の血を注入したり、水銀を妙薬として処方するなど、信じがたいことが行われ続けて来た。そうした実験的な行為により命を落とした者は数えきれないだろうが、これにより医学も確実に進歩して来た。

オカルト派と科学派が友好的に交流するためには

ある意味で科学は非情な歴史を背負ったものとも言える。科学がもっとも飛躍的に進歩する時期は戦争だ。多くの人の命が奪われる戦争が科学をさらに進歩させてきた。それを踏まえた上で⋯タルパ界隈の科学派はもっと科学に対して真摯に向き合うべきだと思う。オカルト派のやっていることなんか気にする必要はないしムキなる必要もない。それよりも科学派としての研究考察、理論構築、実践論の整備に専念するよう願いたい。GDP世界第四位に転落したとは言え、この日本はまだまだ平和である。やりことや好きなことが自由にできる国だ。欧米社会に見るような制約的な宗教観も生活の中にない。オカルト派、科学派、この二つの勢力が上手い具体に住み分けができようになったら⋯初めて友好的かつ有意義な意見交換ができるような間柄になるのかもしれない。

最終的に哲学的な考察が双方を救うかも

互いの縄張りを尊重し合う関係と言ったところか⋯今はそうなるためにどうすべきか注力すべきだろう。現状のスタンスでオカルト派と科学派が議論しても話がかみ合わないだけだ。オカルトの世界で錬金術師と化学者が議論しても高確率でヒートアップして明確な結論に達しないまま議論がとん挫してしまうのは必至だ。多くの場合、アウェイ状態の化学者が辛酸を嘗めさせられるだろう。この場合、化学者は一度科学の世界へ立ち戻り冷静さを取り戻すべきだ。以降、オカルト派も科学派も⋯それぞれの目に見える実践論で議論せず、もっと深い部分、目に見えない根底部分での議論や意見交換をした方が良いように思う。具体的には哲学的な考察だ。オカルト的な哲学、科学的な哲学による意見交換は興味を覚えるものになり、双方にとって有益な価値観をもたらすだろう。