思念体は人間らしく現実世界と同じ感覚で楽しむべき
人工精霊、タルパ、イマジナリーフレンド⋯これら思念体は、現実世界とまったく同じ感覚で楽しむべきです。タルパ戦争以降、メンヘラや中二病どもがこの世界に持ち込んで来たおかしな価値観はすべて破壊しましょう。タルパ界隈でよく聞く⋯タルパを消すな!タルパを捨てるな!言う方に聞きたい。では、お前らのタルパと称するものは一体なんであるのかと?神のような恐れ多い存在なのか?だとしたらトンデモなく傲慢な人間だな。一度、自分を冷静に見つめ直せ。タルパを作ったら最後まで責任を持て?その前に現実世界でお前がお前自身に対して最後まで責任を持てよ。タルパを道具扱いするな?その前に現実世界の人間関係を大事にしろよ。いずれにしても、現実世界で自分のことすらままならん者ほど綺麗事を抜かして、その考えを他人に押し付けようとする。
思念体に対する向き合い方・価値観は各自バラバラで当たり前
現実の恋愛は男女の駆け引きみたいなものだ。駆け引きというと⋯何か、騙して騙されてと言ったイメージの悪いものを思わせるが、多くは不器用なものばかりですよ。そこに悪意なんてない。思念体との恋愛観もそんな感じでいいんじゃない?これは恋愛に限らない。すべてのシチュエーションにおいて現実世界と同じ感覚でいい。現実世界の家庭が⋯世帯によってライフスタイルや生活習慣がバラバラであるように、思念体に対する価値観は各自バラバラでいい。いや、まったく異なっていて当然だと思う。それぞれがそれぞれに対して口を出すのは筋違いと言えるだろう。あの人はあの人、この人はこの人でいい。これまでタルパ界隈で悪さを続けて来たメンヘラどもは、物事を相対的に見る力がないに尽きる。だから、恋の駆け引きと言っても理解不能だろう。
世代間ギャップも織り込んだ交流を心がけよう
思念体に対する価値観は⋯当然ながら、世代によって大きな特徴的傾向もあって当たり前だと言えるだろう。三十路メンヘラの自称タルパーが中高生に説教のようなものをしている姿は見ていて痛い。もう、大人が未成年タルパーに対してアレコレと口を出すものでないと思う。15歳未満のタルパ実践者ともなれば、変性意識がどうだとか瞑想がどうこう言っても伝わらないだろう。タルパ界隈を見ると小学生らしき子もいる様子だ。干渉せずにそっとしておいてあげるべきだと思う。私は子供の想像力や空想力を信じる。たしかに⋯本来の意味での思念体と違うものも多く見受けられる。でも、心象そのものは紛れもなく本物だ。いずれ、この子らが大人になってもタルパを続けていれば、本物へ昇華して行くだろう。自由にイメージさせてあげよう。大人は暖かい目で見守れ。
明晰夢は時間の無駄だからやめろ
幽体離脱もそうであるが⋯明晰夢の習得は本当に難しい。これは以前にも言ったことであるが、明晰夢は多くの場合、通常の夢を見ていたところ、途中で夢の中の世界にいることに気づいただけのものに過ぎない。もちろん、自在に好きな夢が見れる人もいるらしいが⋯夢全体の改変ともなれば至難となる。まして、理想の異性に登場して来てもらうのは絶望的だ。無理に明晰夢を見ようとせず、見たいと思う内容の再現を楽しみにして待っていた方が見やすくなるような気がする。私は若い頃、女性に狂いまくった。そして、夢の中でもアレができる謎の体験をするようになった。ぶっちゃけ、私が「夢」に強い興味と関心を持つようになったのは、不純な男心の好奇心に過ぎなかった。また、それらの体験をヒントに、人工精霊やタルパの作り方を研究、ABC子も生み出した。
素性を明かした今、今後はどうするつもりなのか?
知っている人は知っているだろうが⋯私の祖父は易者であり、その影響は確実に受けていた。占い自体はそれ以前から強い興味と関心を持っていた。てか、自分も最初は易経を専門に目指していたが⋯次第に夢の神秘性に惹かれ始め、夢占いや心理学、観相学的なものへ傾倒して行った。思念体に風水の要素を取り入れていたのは、自身の易者修行時代の名残に過ぎない。今後は⋯浮き草氏のダイブ論を学びたいですね。だが、これは悪気があって言う訳ではないが、正直なところ、徐々に期待も持て始めなくなっている。カムラッドウィキの過激なページが功を奏するか不明だ。むしろ、呆れられている恐れもある。まぁ、どちらでもいいし、この際だ⋯本当のところを話して見た。心霊会話でも吐露した通り、血の繫がりのある実の妹とも特別な関係にある。自分はそう言う男だ。