死後の世界は「夢」と同じ
死後の世界は自分一人だけのもの⋯しかし、多くの人たちが存在しているとはどう言うことなのか?一見すると矛盾しているように思えますが、死後の世界としての意識世界は、何も肉体を失った魂だけが存在している訳ではありません。意識世界固有の存在もおります。人間が寝ている時に見る「夢」の世界には、多くの見知らぬ人物が登場して来ます。それと同じものが、死後の世界としての意識世界にも登場して来ます。あの世でも現世と変わらぬ感覚で暮らすことになります。都会の喧騒を嫌い静かな田舎での一人暮らしを望む人は、そのような理想的な生活が手に入ります。しかし、その場合でも動物の類と無縁とはならないと思います。必ず、独自の意思を持った意識世界固有の存在が現れて来ることでしょう。あなたの世界を彩り活気づかせるものとなります。
あの世は夢と同じ
超心理学的に見る「死後の世界」とは、より分かりやすい感じで結論を言ってしまうと、人間が寝ている時に見る「夢」の世界に近い感じものになると言えるでしょう。心穏やかな人、性格が明るい人の夢見は、必然的に良いものばかりとなる傾向があります。もちろん、人生は山あり谷ありです。時にストレスから悪夢を見ることも多々あるでしょう。しかし、心が荒み性格の歪んだ人の夢見は燦燦たるものです。夢は深層心理から湧き出て来るものですから当然です。話が若干逸れているように思うかもしれませんが、察しの良い方ならもう気づいているはずです。生前の行いや心構えの悪かった者は、永遠に続く悪い夢の世界(=地獄)へ行くんだな⋯と。そう言う人は祖先からも見放されているので、あの世で親兄弟とも再会できず、孤独と後悔を味わい続けます。
死としての夢と、夢としての死
ここまで話が進むと、寝ている時に見る夢は「死後の世界」か?と、疑問に思う方が出て来ると思います。もちろん、そんなことはありません。妙な不安を覚える必要はありません。生きている時、肉体が疲れて眠り込むことで見る夢は、ただの生理現象に過ぎません。肉体を失い意識だけの存在となった時と条件が大きく異なります。しかし、生きている時に「死後の世界」を体験する方法はあります。肉体を失ったような感覚(離人感)を意図的に起こして、自分の意識世界へ没入する方法です。いわゆる「ダイブ」と呼ばれ、深い瞑想状態(変性意識状態)になることで、超心理学的に見る「夢」としての「死後の世界」を体験できます。夢と言っても、起きている状態で「明晰夢」を見ると言う特殊な状態となります。白昼夢をコントロールできるようにしたものと言えます。
夢としての死⋯あの世を体験する方法
ダイブ(精神没入)の技を習得することで、非日常的な体験を楽しむことができるようになります。生きながらにして「死後の世界」を楽しめます。これ決してネガティブなものではなく、現実の生活を活気づかせ、明るく前向きに生きることができるようになります。詳細は「ダイブ界の作り方」をご覧ください。そして、あなたの寿命が尽き果て、遂にあの世へ旅立つ時がやって来たら⋯ダイブの技を駆使して作り上げた精神世界が、そのまま、あなたの「死後の世界」となります。ここで猛烈なツッコミを入れたくなった人は多いと思います。お前、実際にそれ体験したんか?と⋯それを言ったら、話は最初に戻りますが、誰が天国と地獄があると言い出し、死後はそのどちらか一方へ行くものと信じられるようになったのかに帰結します。まぁ、信じる者は救われるです。
時間が無限に引き延ばされた状態が死
次に、死と時間の関係について説明します。超心理学的に見ると、死は時間的な収束点(いや、転換点が正しいか?)となります。一般的な感覚では、死=その人自身の時間的停止を意味します。超心理学の場合、死=時間が無限に引き延ばされた状態へ転換、意識が永遠に保たれる瞬間と考えます。すなわち、時間軸からの解放、エントロピーの法則(熱力学第二の法則)からの離脱となります。時間や物質的な価値観はすべて無意味になります。このため、物欲や支配欲が強い人、死を目の前にして生に強く執着するような人は、転換点を上手く通過できない恐れがあります。だから、できるだけ充実した日々になるよう心がけ、一日でも多く長生きしましょう。明日、自分は死ぬかもしれない⋯だから、今を楽しく生きよう!!と心がけましょう。自〇などもっての他です。