タルパ作りで微オート止まりになる人が多い原因
タルパ界隈のタブーって⋯結局、似非を容認するための暗黙の了解、お気持ちお察しに過ぎません。弱者属性を武器にポリコレ棒ぶん回す輩に対して、遠慮や特別な配慮は一切必要ありません。言うべきことははっきり言うべきでしょう。うんなもんただの暴力なので差別には当たりません。かつて、健常と病理の間はグラデーションのように広がるものだと主張して、内在性解離や双極性障害などの精神疾患とタルパを無理矢理関係付けようとした考察家がおりました。確かに病気には程度の差と言うものはある。しかし、何か風邪っぽいな⋯そう思ったら、早めに市販の風邪薬でも飲んで養生するもんだと思う。そう言う自己管理ができんもんに思念体は無理だと思う。ありゃ変な誤解を招く表現だ。病気は放置すると悪化する。ただの風邪を肺炎にこじらせるつもりか?
何をもって「予測をやめる」のか?
発生型タルパを初めて認知した時もそうであるが⋯まず、人の命がかかっている点を留意して欲しい。病気の早期発見や適切な治療の遅れを招くような考察は今後慎むべきだろう。重要な話なので再度周知した。で、タイトルの通り、本題に入りたい。結論から一人二役の自動化訓練を根本から見直す必要があるのではないかと思う。自身のこれまでの考察の改良と反省も兼ね、いろいろ思うところを書き連ねていきたい。まず「予測」と言う考え方自体をやめるべきだろう。やはり、自然な「着想」の想起である(そのためにも瞑想しながらやるのが望ましい)。もちろん、タルパのキャラ作りの一環で、初期の段階において予測しながらやるのは有益だ。しかし、そこから脱却して無意識化を図る方法として「予測をやめる」とあるが⋯何をもって予測がやめられるのか?疑問である。
既存の自動化訓練法における壮大なツッコミどころ
某ウィキで指標と称した段階別の解説が掲載されているが⋯じゃあ、どうやって予測をやめるの?無意識化を図るの?壮大なツッコミどころと言えるだろう。具体的な解説を求めたい。ぶっちゃけ、未だに微オートの人が多い理由、原因はこれだろう。てか、あのページ⋯無意識化で要となる「変性意識」について、一言も触れられていない。根本的にやり方が間違っているのだ。変な誤解を招く恐れがあったため、このような表現は控えていたが⋯視覚化がある種の幻視であるならば、自動化は幻聴だと言えるだろう。ただ、本当に誤解して欲しくないのだが、視覚化を脳裏で感じているタルパの姿を現実空間に重ね合わせているように、自動化も脳内音読的な感覚のものを現実空間に重ね合わせているようなものになる。本当に鼓膜で聞こえたら病院へ行った方がいい。
だから魔術師や占い師になってから挑戦しろと忠告している
まぁ、病院へ行った方がいいは半分冗談として⋯以前から述べているように、思考と思考の隙間、あるいは、単一思考の余韻からの想起、着想が大切だと考える。こう言うの⋯占い師が得意なんだよ。引いたカードや水晶球からイメージを引き出す作業と基本的に同じ。タルパ作りにおいてそれを単に誰かしゃべっているような口語調に変換しているだけ。だから、ガチでタルパを作りたいなら、魔術師や占い師になってから挑戦してしろと声高に主張している。予測をやめること=思考停止とちゃうか?それじゃタルパから言葉は引き出せんだろう。そんなスタンスで自動化なんかできる訳ないだろ。チベット密教のナントカ次第や神智学がどうこうと言った連中の考えていそうな指南の仕方だよな。専門用語で誤魔化しているだけ。大切なのは具体的に説明することだと思います。
もちろん理屈も大切だよ
現状におけるタルパ界隈の考察は理屈ばかりで実践性が皆無と言える。もちろん、理論は大切だ。特に「気」の思想は、思念体錬成において基本となる知識だ。タルパに限らず、こうした便宜上の概念は、物事を総合的に理解するために役立つ。中医学、漢方、アーユルヴェーダの世界では気は常識だ(インド伝統医学では気をプラーナと呼称)。もちろん、気なんてものは存在しない。以前にも述べたことだが⋯気の注射や点滴なんてないだろ?タルパにおける自動化や視覚化の基本的な理屈と同じだよ。ないものをあるように感じる⋯そう言う話だ。実践性もさることながら、こうした比喩表現的な知識、便宜上における概念を言葉通りに受け止め、それを信じて実践しようとする。だから、上手く行かなくなる。反対に自然哲学と知らずオカルトと無知を晒す恥ずかしい人もいる。