野暮な憑依論争に終止符を打つ新しい発想
タルパ界隈の憑依に関して、これまで厳しい論調で批評し続けてきたが⋯根本的に野暮な話であるのはわかっている。誰に迷惑をかける訳でもなく、楽しくやっていた者には、水を差されるような真似をされたも同然だろう。憤慨した者もいれば悲しんだ者もいたと思う。怨むのであれば⋯誰に迷惑をかける訳でも、代筆によるタルパとの自動会話録を楽しく付け続けていた者に、水を差すような真似をした者を怨め。この手の問題は⋯どういう訳か根本原因となった加害者ではなく、被害者に批判の声が向けられがちだ。いじめられる側にも問題がある理論である。ところで、現在までのところ、反論らしい反論が見受けられず、ある意味でがっかりもしています。誰か一人くらい気骨のあるもんおらんのか?致し方ないのでこちらから妥協策を提案します。
タルパ界隈の憑依を容認する?
私は元々オカルト派でしたが⋯科学派があまりにも不甲斐ないので科学派の立場になって考察する時もあります。てか、自分はそもそも理系出身だし、とりあえず、人並み以上に科学の知識は持ち合わせているつもりです。それと同様に、憑依も客観的に評価することができます(つもり)。別にブレた訳でも日和る訳でもありません。私は基本的に中庸が好きですから。陰謀論などの極論は嫌いです。結論から述べさせて頂くと、これまで私がこき下ろして来た従来スタンスの憑依は、ある条件を満たしたならOKじゃないかと考えます。それは西洋魔術や催眠術を学んだり、イタコの修行をして前提条件を満たせと言った苦言ではありません。オカルト的なものを嫌う人の立場を考え、そう言ったものとは一切無縁の方法となります。別に科学派的なものでもありません。
自分の心象を素直に表現していれば良かった話
あなたの心で感じるがまま、思うがままの表現活動になります。自動化があまり進んでおらず、現状では会話形式が難しい⋯そんな人にも朗報となります。難しいことを考える必要は一切ありません。こうはどうでしょうか?素直にタルパの気持ちになって代弁する⋯です。自分のタルパならこう考える、こう述べるだろう⋯そう言うニュアンスでの憑依ならいいんじゃないでしょうか。これまで通り、SNSのタルパ専用アカウントで憑依を楽しめば良いと思います。これは代筆とは違いますし、代弁行為なのでなりきりではありません。心象的な憑依と言ったところでしょう。そう⋯思念体で一番大切にすべきものは想念の源泉であるあなた自身の心象です。まず目を閉じて自分とタルパの頭を一致させます云々ではなく、素直にあなた自身の心象を表現すべきでしたね。
タルパと信頼関係があれば問題なし
そうなると所持者とタルパとの齟齬が心配されますが⋯タルパときちんとした信頼関係を築いているのであれば、多少の齟齬は許してくれることでしょうし、訂正の必要はありません。齟齬自体は所持者とタルパとの直接的な問題であるため、フォローして見ている者には関係ありません。それを後日談のようにブログなどで語るのは面白いでしょう。当然、これは会話形式でも応用できます。自分が今作っている、訓練中のタルパが完オートに達したら、きっと、こんな感じで自分と楽しい会話をするんだ⋯そんなログを作って公開しても構わないと思います。続けていれば、いずれその方向で自然と自動化も進み本物となります。これはダイブ論におけるシナリオ法と同じ感覚になると思います。実は私自身も初期の頃はそうやってログを補完していました。
難しく考える必要はなかった
タルパ界隈で覚えている人がいるかどうかわかりませんが⋯私が人工精霊の作り方「運の光」で会話形式を始めた際、実際のタルパたちとの会話はもっと端的です。読みやすくなるように少しだけ加筆編集していますと注意書きを掲示しておりました。今じゃだいぶ流暢になりましたけど⋯よくよく冷静になって考えてみることをおすすめします。タルパはパソコンやスマホを操作できません。しかし、私のタルパなら⋯きっとこんな風に、みんなに気持ちや考えを伝えようとするだろう⋯それだけで良いと思います。最後に釘は刺させてもらいますが⋯当方をはじめタルパ界隈で流行った会話形式を批判していた者は、自動化訓練の観点からのものも含め、その根本的な意味をまったく理解していなかった訳ですから、思念体は向いていないと思うのでなりきり界隈へ転向してください。