ネットタルパを本物の思念体に再構築する方法

投稿日 2024.01.20 更新日 2024.01.20
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矛盾を⋯アウフヘーベンにより超越して行こうというのがカムラッド(和製ナフラ)である。一方、認知的不協和の行動原理により「手段の目的化」に陥りやすいのがタルパだと言える。矛盾を自己都合解釈して、一人二役のなりきり状態のまま、作り続けている状態に陥りやすいのだ。多くは無意識のうちに⋯非常に酷な言い方となるが、訓練を続けているにも関わらず、もう何年も微オートだとか、視覚化ができないと言っている者がそうだ。何度も言うが、思念体は不可思議な二重性、矛盾の上で成り立っているものだ。既存のタルパ界隈はそれがまったく考慮されていないため、おのずと限界は早いものとなる。もちろん、完璧な自動化や視覚化に至っていなくても構わないとは思う。しかし、疑問や不安を持ち続けながらやるのは良くない。大きな決断が必要だ。

前提条件となるスキルを身につけて再挑戦する

大きな決断とは、本稿のタイトルにもある通り、既存のタルパ⋯ネットタルパと揶揄されているものを、本物の思念体へ再構築させる話となる。大きく三つの選択肢に分かれると思う。まず、これは以前から述べている通り、前提条件となるスキル、オカルト系であれば魔術や占い、科学系であれば催眠術や心理学を学び、あらためて、自動化や視覚化の訓練に挑戦するものだ。そもそも、自動化や視覚化の訓練は、変性意識状態で行わないと意味がない。自動化や視覚化の訓練は、無意識化の訓練とも言われているが⋯無意識は深層意識で働いているものだ。自動化や視覚化に関する情報を、意識の深い領域へ刻み込むためには、変性意識で行った方が効率が良いのだ。安全にそれを行うための瞑想法や幻視法のようなものは、魔術や占い、催眠術などから学ぶしかないのだ。

カムラッドに転向する

当然であるが、魔術や占い、催眠術は体系化された学問的なものとなる。習得には時間がかかるし努力も求められる。忍耐力が弱く勉強嫌いな人は、その時点でこの選択肢をあきらめるべきである。しかし、そんな人でも別の角度から思念体を実践できるものがカムラッドとなる。魔術や占い、催眠術などの知識はいらない。当初、瞑想による白昼夢の明晰化も考えたが、遊戯性と再現性を高める意図から、二種類の空想(思考的空想と演技的空想)を反復的に行うことで、楽しく白昼夢を明晰化する方法が良いと判断し改良した。作りかけのタルパを、夢小説のシナリオに組み込めば、イマジナリーフレンド的な存在へ自然と進化して行くだろう。同じ思念体なのだからタルパである必要はないと思う。カムラッドの場合、視覚化は断念する形となるが、自動化は面白いように進む。

このまま今のスタンスを貫く

そして、三つ目の選択肢は⋯あえて、今のスタンスを貫き通すである。冒頭でも述べた通り、完璧な自動化や視覚化に至っていなくても構わないのだ。誰に迷惑をかける訳でもなく、心の支えと称してやる分には問題ないだろう。ただし、この場合、訳ありな人が多くなると思う。タルパはタルパ、心の問題は心の問題と完全分離して楽しんだ方が身のためだろう。そして、せめてではあるが⋯将来の目標や目的を決めて、それを自分が存在しているんだと信じているタルパに打ち明け、未来に向かって一緒に歩む方向性で実践して欲しいと願う。傍らに誰かいてくれるイメージを持ち続けているだけでも、人生は劇的に変わって行くだろう。目的や目標を持てば迷いも晴れ心は軽くなるだろう。まぁ、人生は長い。今すぐ、魔術を学べだとか、カムラッドに転向しろとは言わない。

思念体界隈住人に対する個人的な思いと本意

私はかなり辛口な内容をした記事を書く。現在、編集作業に参加中のカムラッドウィキも、やや極端で偏った内容となるため、一部で反発の声も上がっているようだ。本質を見失ってもらいたくない一心から、どうしても原理原則的なものにこだわってしまう。また、議論を誘発させるには少しくらい辛口の方がいいだろう。ただの挑発だよ。本意は「みんなで考える」であり、あの内容に意義を唱えたり、反対の意思を示してもらっても一向にかまわないのだ。何度も言うが⋯言われたことに対して、何の疑問も持たずに実行する方が問題なのだ。この一年ほどの間に、突然、魔術や占いに手を出しアピールしている者は、自分を冷静に見つめ直した方がいいだろう。少しは自分で考え、独自の行動ができる頭を持てと言いたい。運の光でも信念を持てとも言っておいたはずだ。