タルパ考察は再現性・客観性・遊戯性の三要素を必須とすべき
心霊現象、超能力、占い、風水、魔術、地球外知的生命体、超古代文明⋯オカルト・スピリチュアル界は広大な世界であり、様々な界隈から構成されている。その中でも異彩を放つ⋯いや、異臭を放つ界隈がある。それが人工精霊・タルパ界隈だ。単にタルパ界隈とも呼ぶ。オカルト・スピリチュアル界の辺境の地にあり、荒れに荒れた世界として知られ、容易に近寄りがたい場所と化している。なぜこうなったのか?まぁ、精神を病んだ者が多い点であるのは言うまでもないが⋯それは表面的な問題に過ぎない。タルパ戦争前後の変化、経緯を分析して見ると、根本原因は不真面目で問題性のある考察態度にあったと言わざるを得ない。思念体は主観的な精神的産物であるが⋯考察は客観的かつ再現性のある内容でなくてはならない。当然、エビデンスもあった方がいい。
自分の体を使って試すことができるものだからこそ
心理学的な観点で思念体を実践している人から見れば、本稿の内容はヘソで茶を沸かしたくなる話に聞こえるかもしれない。そもそも、オカルト・スピリチュアルが前提なのに、客観性だとか再現性などと言った科学的な語句を使うのもおかしな話に聞こえるかもしれない。しかし、同じオカルト・スピリチュアルの領分の中にあって⋯今すぐ、自分自身の体を使って試すことができるものは他にない。ぶっちゃけ、他界隈は都市伝説的なものであり、本当に信じる信じないは人の勝手と言ったところだ。もちろん、風水や気学、占星術のような統計学的なもの、ある程度の根拠が確立されているものもある。しかし、これらはいずれも北半球で発展した自然哲学、思想である。南半球でまったく同じことが言えるのか⋯専門家により意見が割れているのが実情だ。
オカルトにあっても科学的な視点と態度は有効的であり必要不可欠
タルパを作るために北半球だとか南半球は関係ない。基本、地球上のどこにいようとも⋯自我を正しく感じている限り、実践可能なメソッドとなる。オカルト的な要素満載な代物であるが⋯オカルトであろうがなかろうが、基本的に自分自身の意識に対して何らかの作用を加える作業となるため、科学的な視点と態度は有効的であり必要不可欠なものとなる。故に、タルパ関連の考察では再現性と客観性⋯そして、楽しみながらでないと実現は到底不可能なものとなるため、遊戯性を加えての三要素が必要だと言えるだろう。このため、現在までに知られている訓練方法を全面的に見直すことは避けられない。今のままでもいい、余計な提案をするな⋯それを言って許されるのは前提条件を満たしている人だけだ。魔術師や占い師、心理士や催眠術師でもない素人こそ文句を言うな。
チベット密教を勉強しても時間の無駄
まず、チベット密教をベースにタルパを語る者は自分を全面的に疑った方がいい。何度も言うが修行僧でないと無理なもの、自分自身の体を使って再現不可能なことを述べる者は詐欺師も同然だ。厳しい言い方となるが、自分自身の体を使い再現できないものは⋯どんなに優れた文章で書き綴られていたとしても、それを読んだ人も再現できるとは思えない。それは現状における人工精霊・タルパ界隈が証明している。うんなもん見りゃわかるだろ。本物なんてほんの一握りだよ。チベット密教の思想を鵜呑みにして、そのやり方を順方向から真似るのは絶対に無理だろうが⋯チベット密教の思想を分析して、逆方向から探るのはありだと思う。そのためにはチベットの歴史や文化、民俗までも紐解かねばならないだろう。まぁ、じっくり時間をかけてやって行く。
書いている本人が楽しくなければ存在悪でしかない
素人こそ文句を言うな⋯いささか傲慢が過ぎる発言に思えるかもしれないが、今までの考察が本当にいい加減過ぎたのだ。医師や薬剤師の判断に基づかない考察には怒りを覚えるし、それに煽られ好き勝手放題に暴れ回るメンヘラにも辟易する。何よりも楽しさのようなものが一切感じられない。書いている本人も苦しいのか泣いているのか⋯そんな感じの文面や文体も見受けられる。人間の感情は連鎖するものだ。少なくとも、人を楽しませるためには、自分も楽しくなければそれを行うことができない。ネガティブで後ろ向きな考察が行われ続けている限り、メンヘラ抑止にもつながらないだろうし、いつまでも界隈は苦行に満ちただけの場所としてあり続けるだろう。中には心理士の資格や修士号を持っていた考察家もいたようだが⋯研究室で一体何を習ったんですかね。