思念体を本質主義と実存主義の思想で二分するのはどうか?

投稿日 2023.09.25 更新日 2023.09.26
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人工精霊、タルパ、イマジナリーフレンド⋯これら思念体の定義や実践方法を巡る議論に終わりが見えない。具体的には⋯思念体と人格は同義になり得るのか?思念体の憑依はありか?などである。これ以外にも創造型や邂逅型、発生型と言った型式をめぐる議論、さらには、オカルト派と科学派の対立もある。これらすべての問題を別角度から見ると「本質主義」と「実存主義」に二分できなくもないように思える。オカルト派、科学派と言った区別に関わらず、魔術や占い、心理学や催眠術など、古の叡智や科学的知識を前提条件、基盤にしたものが本質主義となる。対して、ありのままを肯定する考え方⋯具体的には、思念体と人格を同義としたり、魔術やイタコ等の知識なしに実践できるとされる憑依、発生型を主張する者たちを実存主義の集団とする捉え方だ。

実存主義とは?

今、ここで⋯自分自身が感じているいるものを全面的に肯定、容認する考え方だ。平たく言えば、ぶっちゃけ、理屈はいらない!!自分がそう感じているんだからそうなのだ!!と言う開き直った考え方である。別にこれを悪いとは言わない。当サイトでは、思念体と人格や憑依との関係性について厳しい評論を行ってはいるが、あくまでも持論に過ぎないし、すべてのケースを否定するつもりは毛頭ない。以前の私は創造型至上主義者であったが、現在は邂逅型や発生型を容認⋯いや、むしろ、創造型を否定的に見る立場へ転向した。私が明日からいきなり「憑依!!シャキーン!!」と言ってXに登場して来ないとも限らない。いや、これは冗談だ。流石にそれはないと思う。しかし、実際にそう言う人がいるのだから、容認はできないが存在を認めない訳にはいかない。

界隈の諸問題は本質主義と実存主義の対立

個人的な思いとなるが⋯本質主義と実存主義をアウフヘーベンした結果、カムラッド的な何かが具体化されるような気もするのだ。まぁ、この話は一旦横に置いておくとする。ここで何が言いたのかと言うと⋯長らく思念体の世界を観察して来たが、オカルト派と科学派、創造型と邂逅型、代筆派と憑依派などと言った対立は表面的な問題で、もっと奥深いところの根本原因があるように思えて来たからだ。これらの諸問題を全部ひっくるめると、本質を追求したものか?ありのままが正解か?に分れる。前者は理屈で後者は理屈抜きとなるため、話がまったくかみ合わないのは当然だ。これも最近になって気づいたことであるが⋯脳内現象派なる表現は、科学オンチな自称科学派に対する皮肉から生まれたものかと思われたが⋯どうも実存主義的なニュアンスを禁じ得なくなって来た。

脳内現象派の真意は如何に?

一見すると科学派に思われていたが⋯科学と言う理屈を抜きにして、本質主義的で面倒なオカルト派からも距離を取りたい意図から、人工精霊やタルパを「脳内現象」と呼称するようになったのではないかと考える。まぁ、私個人の勝手な憶測。現在、脳内現象としきりに連呼していた当事者に、その取材を兼ねて接触を試みているが⋯関連するSNSアカウントは放置状態らしく反応がない。タルパ戦争同様、真意は永遠に謎のままとなりそうだ。それはともかく⋯そうなるとある頭の痛い問題が再浮上して来る。メンヘラや中二病の連中である。こいつらが実存主義を名乗り始める危険性がある。病理現象や薬物によるものも個性だとか、ありのままの自分ですって言い始めるに決まっている。この手の退廃的なものは、引き続き、警戒していかねばならないだろう。

形式論は議論の硬直化を招きやすい

もちろん、精神疾患に関してもすべてのケースを否定する訳ではない。まじめな人が病むケースと人格が狂っているケースは別々に分けて考えている。当サイトでは後者をメンヘラと蔑んでいるだけに過ぎない。現実世界に対する違和感から自分を解放して、実存的にもっと自由な心で生きられるようになれれば良いだろう⋯これは前者の方に対する話な。また、前回記事でも指摘した通り、思念体とタルパの違いなどと言った奇妙な縦方向の分類は、言っている本人もよく分からなくなっている現れではないかと疑う。従来の分類方法の限界とも考えるし、立ち位置不明瞭の者が入り乱れ、さらなる混乱を招くだけだと思う。従来の形式論的な分類に対して、こうした思想的な分類方法を直交させることで、対立する者同士が互いを柔軟かつ冷静に見つめられるようになるかもしれん。