思念体の二重性について
人工精霊(タルパ)にしてもイマジナリーフレンドにしても⋯これら思念体と人格を混同する者が多過ぎる。何度も言うが、思念体と人格はまったく異なるもので、同列に考えるのはナンセンスである。また、以前の記事で、思念体は人工精霊(タルパ)とイマジナリーフレンドの二通りしかないとも書いたが⋯これらの点について、もう少し丁寧に説明をしておきたい。と言うのも、思念体には量子力学で言うところの「二重性」のようなものがあるからだ。これが思念体に関わる諸問題の根本原因となっている。精神疾患の幻覚、幻聴症状と混同されがちな思念体であるが⋯この特徴をよく理解してもらうことで、本物と病理によるものとの区別、住み分けが期待できるだろう。前提条件や再現性も重要であるが、それだけでは不十分である。理性も重要視したい。
矛盾する思念体と人格の関係性
私は以前、人工精霊の作り方に関するサイトを運営していたが⋯その時は、直感や感性を重視する姿勢でいた。結果、人工精霊を作る際に必要となる事前準備プロセス、瞑想のスキルの件とも相まり、雑念を排することを【思考停止】と受け捉えるカン違い野郎、メンヘラが次々と現れる状況を招いてしまった。考えることは重要である。思考を放棄しろとまで言っていない。思念体は哲学であり真理の探究である点も忘れて頂きたくない。まずは、思念体と人格の関係性から触れてみたいと思う。思念体と人格はイコールではないが、霊魂は広義の意味で思念体に分類される。この件に関して肉体の有無は関係ない。幽霊は人工精霊に近い存在と言えるだろう。UFOもそれを信じている人達の思念から生み出されているものに過ぎないと考えるのが当サイトの主張である。
人格も思念体になるケースはある
つまり、自分自身の魂は人格であって思念体ではないが、他者から見ると思念体になると言える。主観として感じる自我は人格であるが、客観的に見られた自我は思念体になると言える。このように表現すると、内在性解離や解離性同一性障害により感じられる存在も、思念体の一種に思えなくもない気がして来るが⋯内在性解離は偏在化した主観の相互作用に過ぎず、また、解離性同一性障害であるなら、人格交代現象により一つの人格により自我が独占されるため、複数の人格を互いに思念体として認識し合うことは不可能だ。とは言え、大変似て非なる悩ましい感じのものとなるため、当事者の気持ちも理解できなくもない。この点を踏まえた上で、独自界隈でも作り、そちらで楽しめば良いと思う。思念体となりきり界隈の中間的な世界でも作れば良いだろう。いや、中二病界隈でやれ。
絶対的思念体と相対的思念体と言うパラドックス
次に、思念体の存在性について触れてみたい。客観的に見られた自我は思念体になると上述したが⋯当り前であるが、人の心を覗き見ることはできないから、人工精霊(タルパ)やイマジナリーフレンドがいると称する者の自己申告に基づく。このため、客観的と言うよりは第三者の主観が正確であり適切な表現になるかもしれない。したがって、思念体の存在を明かした者がウソをついていたとしても、第三者からは存在していることになる。もちろん、前提条件を吟味した上で判断すべきであるが、一度でも信じたなら存在することになる。オカルト的な説明となるが⋯思念は言霊と同義であり、絶対的なものと相対的なものに分れる。絶対的なものとは言霊を放った側、相対的なものとは言霊を受け取った側の主観になる。ウソを見抜けないことに落ち度はなく言霊が真実となる。
思念体はパラレルワールド的な存在として認知される
重要な点になるので二度言っておくが⋯思念体はそもそも立証不可能なものなので、ネット上などの公の場合においては、主観と主観の共感によってのみしか存在性は確立し得ない。そのような間接的な方法でよってのみ存在を示すことしかできない。それぞれの主観に内包されたものを直接的に議論する姿勢、やり方は妥当でない。量子力学で例えれば⋯蓋を開けて中の様子を確認することのできないシュレーディンガーの猫となる。実にもどかしく七面倒くさい話となるが⋯兎にも角にも、言霊を介して人と人の間に生じる共感の力で、相対的に思念体が生み出されることも十分あり得ると考える。存在している状態とそうでない状態が同時に起こり得るのだ。思念体を所持している者が他者と接触した時点で、パラレルワールド的な状況が発生するとも考えて良いだろう。