超心理学的な「死」とは時間超越である

投稿日 2023.01.14 更新日 2023.06.22
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生への執着は⋯結局のところ、強い後悔や未練であり、自〇も一見すると生の放棄に思えますが、後悔や未練と言った感情の裏返しです。この世に生を受けたことに対する憎しみとも言えます。いずれにしても、少し厳しい言い方になりますが、そう言った人に「死後の世界」はありません。オカルト的、宗教的に見れば、人生は魂の修行であり、特別な事情を除き、それを放棄すれば地獄へ堕ちるとも言われております⋯超心理学的には、地獄と言う場所はありませんから、転換的を乗り越えられず、永遠の闇へ堕ちて行くだけになるものと思われます。今世が残念だった人は「次があるさ!!」と開き直って死を受け入れましょう。また、これは人により非常に酷な話に聞こえるかもしれません。どんなに苦しくても命は捨てず、素直に助けを求めましょう。

どんなに辛くても絶対にやるな

次に、自〇について語ります。これは絶対にやってはいけません。理由は直前でも述べた通り、時間を超越できないからです。もちろん、例外もあります。誰かを助けるため自らの命を危険に晒したり、信じるもののために自らの命を賭したような人たちです。それにより命を失った場合、きちんと⋯オカルト的に言う転生、超心理学的に言う時間超越は叶います。やはり、強い信念や思想信条に基づくものは、あの世の然るべき位置へ引き寄せられます、これら特殊な場合を除き、自〇は絶対にしてはいけません。〇傷行為も自〇に準ずるものとなるので絶対にダメです。あと、精神系の病気を自称、それをアイデンティティにして、アピールして回るメンヘラもいけません。人生に対する仮病は大罪です。絶望感を持った者に、暗闇以外に何かを得たり与えられることはありません。

超心理学的に見た死

人間の肉体には限界があります。いずれ必ず朽ち果てます。しかし、意識は永遠不滅のものになると言えるでしょう。これまでの話をまとめますと⋯超心理学的に言う死とは(1)時間が無限大化して意識が別次元で存続(2)その別次元が死後の世界(3)死後の世界は波動の世界で、波長別にほぼ無限に近い数に分かれている⋯と言う話になります。既存の宗教観に基づく「天国」と「地獄」のような場所はなく、居心地が良ければそこがその人にとっての天国となります。さらに、自らの意思で改良することが可能で、生きている間に事前に作っておくこともできます。卑屈な人は相応な波長の世界で苦しみます。これを信じていれば、いつか寿命が尽き果てる時、安らかな死を迎え入れることができます。ただし、自〇は厳禁。できるだけ健全な精神を保ち長生きしましょう。

あの世では時間と言う概念がない

時間の無限大化とはどういうことなのか?この点について、もう少し詳しく説明しておきます。かなりマニアックな話となるので、こまかい点は気にしないと言う方は、本項は読み飛ばして頂いて結構です。結論から言うと、アインシュタインの相対性理論で言うところの光速への近似みたいなものです。別に人は光の速度を目指して死を迎え入れる訳じゃありませんが⋯死が直前に迫ると、時間の進みが極端に遅くなり、最終的に肉体と意識(=魂)が分離するとゼロになり時間を超越します。生きていた頃に感じていた四次元時空としての時間軸は、不可逆的な一方通行の座標軸に過ぎませんが、死後の世界では記憶情報の位置を示す座標軸に変わり、状況に応じて可変させることが可能となります。時間軸が相対化されるとはそう言う話で、死後の世界を自在に操れるようになります。

生きていた頃、一番幸せに感じていた時期が再現可能

前項をお読み頂き、時間の進みがゼロになるのだから、無限大化ではなく停止ではないのか?そう思われた方は多いことでしょう。時間停止とは物質的な機能停止を指し、肉体が滅びることを意味します。あくまでも、そこまでは、現世での表面的な現象に過ぎません。時間の無限大化とは意識の永続化を指し、波動の世界への帰依や帰順のようなものを意味します。我々の住む現実世界は、縦横幅の三次元立体空間を構成する三本の移動軸(=XYZ軸)と、それをエントロピーで絶対的に支配する四番目の一本だけの時間軸、合計で四本の軸からなる「四次元時空」となっています。死後の世界では時間軸が相対化され、人により位置が変わり、移動軸のように両方向への可変が可能となります。つまり、生きていた頃、一番幸せに感じていた時期が再現可能ともなります。