超心理学の視点で語る「死後の世界」について
人は死んだらどうなるのか?この問いに対して、自らの意思で答えられる人は皆無でしょう。圧倒的大多数の人は、教え込まれたものによるものです。どんなに信心深い人でも、その人の信じる宗教の教義によるものです。また、こう言った方面のものを信じない科学万能主義者に限って、科学的に説明できないでいるものです。そして、二言目には「教祖がこう語っていた」とか「科学者がああ言っていたから」とかです。ぜんぜん自分の頭で考えていません。いや、もちろん、それが悪いとは言いません。そもそも、人は現実を今日明日生きるので精一杯です。自分の死んだ後のことなんか考えてられません。私みたいな好事家が変なだけです。しかし、誤った「死後の世界」に対する認識は是正して行かねばなりません。これは現実をより良いものにも変えられます。
あの世は天国と地獄に分れていない
死後の世界と言えば⋯多くの人は「天国」と「地獄」に分かれているものと思い込んでいます。結論から言ってしまうと、死後の世界は波長や波動の世界であり、グラデーションのように広がる無限意識の世界です。天国と地獄の二つの世界に分割された場所ではありません。人は死んだら、生前における意識のあり方、ポテンシャルの高さに応じた位置へ旅立つに過ぎません。個別意識となる魂も波長や波動の塊であり、それと同じ波長や波動をした位置に引き寄せられます。このため、自分と同じ価値観を持った者同士が寄り添うことになり、結果として居心地の良い環境、その人にとってその位置が天国になると言う話に過ぎません。一方、生前の心構えや行いが悪かった者は、それ相応の低い位置へ引き寄せられます。そこで同類と醜い争いをし続けて過ごす事になります。
あの世は無限の階層世界
信じる信じないに関わらず、圧倒的大多数の人が思い描くあの世、天国と地獄に二分割された世界観は、人類の文明発展の過程で醸成された政治的な価値観に過ぎません。科学の発展していなかった古代における宗教は、時の為政者たちが民を都合良く支配するための手段であり、為政者の意向に沿う者だけが善行者とされ、死後は天国へ行けると啓蒙されました。中世ヨーロッパで積極的な購入が奨励された免罪符がその露骨なまでの典型例、象徴的現象と言えるでしょう。それはキリスト教のみならず、多くの宗教の基本理念となり、今日まで世界中の多く人々の意識の中に引き継がれています。その一方で、超心理学的に見る「死後の世界」は、多様性に満ち溢れ、無数の階層からなる構造をした場所となり、既存の宗教観に基づく常識を覆すものとなります。
あの世での年齢と容姿は相対的なものとなる
死後の世界は意識のみ存在が許された普遍的な精神世界であり、物質的な価値観はすべて意味をなさなくなります。肉体を失い意識だけの存在となるので、生前の容姿は記憶情報に過ぎなくなります。さらに、時間は唯一絶対のものでなくなり、個々の意識別に相対化されます。このため、あの世での年齢、容姿は固定的なものでなくなります。相手やその場の雰囲気により変わります。先に逝った親と再会すれば、双方、生前の時のように違和感のない感じの姿をしています。しかし、あなたから見て親は老いていても、他者からは子供の姿をしているかもしれません。魂と魂がお互いに感じるものは絶対的なものでなくなります。ただし、親や祖父母が自分の年齢と同等、または、それ以下となることはないと思われます。自分の祖母だと言う年頃の女性が現れたらドン引きします。
あの世は一人一人の固有世界
あの世に到着すると⋯とりあえず、先へ逝っていた親や祖父母と再会することになりますが、生前の時のように一緒に暮らすことになる訳でもありません。多くの場合、お互い同じ場所にいながら、別々の生活を楽しむことになります。厳密には、直系の親族同士の魂の波長は似通っているため、お互いに近い位置に散在しているだけに過ぎません。それぞれの波長でそれぞれの死後を楽しんでいます。肉親に限らず自分の波長と完全に一致する人なんてそうそういません。死後の世界は自分一人だけ自由にできる素晴らしい夢の世界、パラレルワールドになると言えます。たまに、親など誰かが顔を出しにやって来ますが、不必要かつ過剰な干渉はないでしょう。また、その中で孤独で過ごしている訳でもありません。文明が築かれて多くの人たちが存在しているかもしれません。