国境なき思念体の世界
タルパ⋯それは本来、チベット密教で伝わりし秘奥義で、究極の悟りを具象化する試みである。それを成し得るためには一つの真理へ帰依する必要がある。しかし、それを学ぶためにはチベット密教の寺院で修行する他ない⋯それを体験したことのない者が言うタルパは偽物である。チベット密教と絡めてタルパを語るような者は詐欺師である。実際、実践できる方法を具体的に説明できる者が一人もいない。わざわざ、専門用語や学術的な語彙で難解化して、頭が良い人アピールは見苦しい。ホンマ、それ自分でも理解しとるんか?本当に聡明な人、頭の良い人は⋯難解なものを誰にでもわかりやすく説明しようとする。そして⋯それはこの記事で伝えたいと思うことにつながる。わかりやすく説明しようとする試みは、定義の明確化と真理への接近につながるのだ。
わかりやすく説明する意味
わかりやすく説明する試みには二つの効果が期待できる。わかりやすい=思考の簡素化である。これにより物事の定義が自然と明らかになって来る。そして、多くの人に受け入れやすいものとなり、集合知の均衡化、バランスも図られやすくなる。それが真理として昇華して行くだろう。しかし、現状におけるタルパ界隈では一つの大きな課題がある。オカルト派と科学派の対立だ。これは前々回あたりの記事でも述べた通り、哲学でこの両者の対立を中和することができるだろう。オカルトと科学は矛盾する概念となるが⋯間に哲学を挟むことで、この両者の思考や知識の均衡化ができる目途が立つ。ただし、オカルトと科学を融合させる必要はない。それこそカルトや似非科学の温床となるので危険だ。あくまでも、真理を導き出すための過程的であり共同作業的な手段に過ぎない。
哲学でオカルト派と科学派の対立を中和
例えば、幽霊やUFOはいるいないと言った直情で幼稚な議論はやめ、魂(=自我)の根拠や地球外知的文明の有無について話し合うのだ。現状におけるタルパ界隈は、オカルト派がこの側面で先行しており、科学派が大きく出遅れている不均衡な状態と言える。一部の変な自称霊能者を除き⋯そもそも、タルパ界隈のオカルト派は自然哲学に基づくものでありカルトとは違う。科学派がバカにする西洋魔術や風水は、今日における科学の祖先である。もちろん、気やオーラなんてものはないが⋯東洋医学の世界では、人体の働きを理解する上で必要不可欠な基本的な概念、思想として深く根付いている。これはオカルトと科学を哲学で中和された実例になると言えるだろう。それをキモいと言う自称科学屋の知性と感性のなさには呆れる。もう少し、歴史と文化も謙虚に学ぶべきだろう。
科学派の矛盾行為は現代社会に対する不満が原因
科学の恩恵に授かり、豊かな生活に満足しているのであれば⋯それこそ、タルパなんかに興味を持つ必要はないだろう。しかも、本来的に見てオカルトの世界にある代物にである。邪推になるが⋯結局、今の現代社会に対する不信感から、非科学的なものに対する希求心を募らせているのが本音だろう。双極性障害とか内在性解離とか自称DIDとか交流電源ACとか⋯オカルト派の多くはまともな社会生活を過ごしているし、現実世界ではオカルトと科学の区別はきちんと付けて暮らしている。まぁ、そんな個人的な愚痴はともかく⋯最大の元凶は「国」のようなものと言えるだろう。タルパ界隈に戦国乱世な状況を招いている元凶だ。もちろん、思念体は主観的な精神的産物だから、原則は自己責任で人は人、他人は他人であるべきだ。しかし、根本的な部分は同じになると思う。
とりあえず「国」のようなものを先になくせば争いもなくなる
対立を招きやすい(個々の絶対的価値観による)分断より、全員が等しく真理に向かって行けるような多様性と枠組み作り、雰囲気作りの方が大切なんじゃないと思う。それこそ、多様性=国のようなものに思えるが違う。多様性とは他者を理解することも含まれ、国のようなものは拒否や国交断絶のニュアンスが濃厚となる。それでいて、メンヘラや中二病を排除するための枠組み、雰囲気も醸成して行きましょうねと言っております。実際、メンヘラ共和国や中二病帝国が跋扈、他国に対して侵略行為をしているだろう。これに対して「国」のようなものの支持者は何を考えているのか意見を求めたい。精神世界で国境はいらん。自分は国境の意味を確かめ終え、ようやく、カムラッドの道筋が見えて来た。とりあえず、オカルト派の自分が致し方なく科学派の再興から始めてみたい。